フォロー中のブログ
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2023年 12月 2023年 09月 2023年 06月 2022年 09月 2022年 05月 2022年 03月 2021年 11月 2021年 09月 2021年 06月 2021年 04月 more... 検索
最新のトラックバック
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
外部リンク
ファン
その他のジャンル
|
「どついたるねん」や「北のカナリアたち」でおなじみの阪本順治監督 初のオリジナル脚本です。
貧しかった時代をそれでも必死に生きた若者たちの姿がみずみずしく描かれます。 あらゆる物を大切に使い、人間の排泄物は肥料とし、限られた資源を無駄にしない江戸時代の<循環型社会>をベースに、人の心のあたたかさ、青春のきらめきが美しいモノクロ映像で綴られる異色の時代劇です。 突然の雨を避けて雨宿りをした寺の厠のひさしの下で、紙屑買いの中次と下肥買いの矢亮と出会います。 そして中次はいつのまにか矢亮のもとで下肥買いの相方となります。 最下層のいわゆる3Kの仕事なのですが、彼らは明るさを忘れません。 一方のおきくも貧しいけれど人情味あふれる長屋に暮らしていました。 ある日、中次はおきくの父、源兵衛と厠でばったり。 「お前『せかい』ってコトバ知ってるか」と声をかけられます。 「ホレた女が出来たら云ってやんな。『せかい』でいちばんお前が好きだってな・・・」 そんなことを教えてくれた源兵衛は謎めいた侍たちと連れ立ってどこかへ出かけます。 そして、その後を追ったおきくは、突然侍に斬りつけられ、父と自分の声を失ってしまうのです。 それぞれハンディを背負ったおきくと中次の恋物語です。 声を失ったおきくは自分が本当に好きなのは中次だと悟り、身振り手振りで必死にそれを伝えようとし、中次もそれに応え、おきくに字を教えて欲しいと伝えます。 現代なら美しい純愛物語なのですが、まもなく明治という幕末の時代背景を加味しても、身分制度が厳しく確立されていた武家社会で、仮にも武家の娘であるおきくが最下層の下肥買いの男と恋を成就しようとするのは、チョッとリアリティとしてどうなんだろう?と引っ掛かりました。 でも、おそらくこれはそうした制約を飛び越えて、ある種のファンタジーとして成り立たせようとしているのだと気づきました。 パートカラーがあるとしても、全編モノクロで描かれているのがその証拠かなと思います。 モノクロが古さを表現しようとしているというより、どこかこの世のものと思えない世界をそこに示しているように感じました。 もっとも下肥買いの話なので汚物がいっぱい出て来て、これがカラーではチョッときついなぁという感じなので、その意味でもモノクロしかなかったのかなぁという感じではありますが・・・ この物語のキーワードは、おそらく『せかい』・・・ 『せかい』というとてつもなく広い概念を構成するのはそれぞれ小さな『個』の存在です。 『せかい』とは突き詰めればその『個』に行きつくのかな?と感じました。 そう考えれば、中次にかけた源兵衛の言葉の本当の意味が納得できるような気がします。 『せかい』に息づく『個』としての人々の愛おしさが静かに伝わって来るようでした。 #
by anculucinema
| 2023-12-01 17:13
| 邦画
宮沢賢治の父である政次郎を主人公に、家族愛を綴った門井慶喜の直木賞受賞作「銀河鉄道の父」が「八日目の蝉」「いのちの停車場」の成島出監督のメガホンで映画化されました。
岩手県で質屋を営む宮沢政次郎の息子賢治は、長男でありながらも適当な理由をつけては家業を継ぐのを拒んでいました。 農業大学への進学や人工宝石の製造、日蓮宗への傾倒と我が道を突き進む賢治。 それに対し、政次郎は厳格な父親であろうと努めるのですが、ついつい甘やかしてしまう。 やがて、妹トシの病気をきっかけに物語づくりに没頭し始める賢治でしたが・・・ 宮沢賢治の実はダメ息子ぶりが際立ちます。 おそらくホントはこうだったんではないかと、とてもリアルな説得力がありました。 そんな賢治に時には呆れながらもつい付き添ってしまう父・政次郎の親バカぶりがユーモラスで微笑ましい。 賢治の通夜の席で政次郎は「私の使命はこの天翔ける奔馬を地上につなぎ留めることでした」と語ったと伝えられますが、そんな思いがこの作品からもヒシヒシと伝わって来ます。 印象に残ったのが妹トシの存在。 とてもバランスの取れた才媛で、今ならおそらくその才能をもっと開花させていたことでしょう。 時代が時代ゆえに男の陰に隠されてしまった感じですが、それでも教師として自立していたところにその片鱗が伺えます。 でもそんな彼女が賢治を物語の語り部としてとても評価していたエピソードに、賢治の才能が暗示されます。 しかしトシは結核に倒れ、若くして命を落とします。 その最後は賢治の詩「永訣の朝」であまりにも有名です。 結局、賢治もまた結核に倒れ、日ごとに衰えていきます。 そんな時「羅須地人協会」で知りあったと思しき農民が賢治の病状など知らず相談にやって来ます。 賢治は弟清六の力を借りて、息も絶え絶えながら、その相談に真摯に応えます。 ダメ息子ばかりでない賢治の誠実さが伺い知れます。 もう先が見え始めたころ、賢治は父に妙法蓮華経の国訳をつくるよう、そしてそれが自分の一生の仕事であったことを知らせるよう頼みます。 それを聞いた父政次郎の「おまえもなかなかえらい」のひと言に、賢治は清六に「おれもとうとうお父さんにほめられた」とうれしそうに伝えるのです。 いよいよ賢治が死に近づいたとき、当然のように自分が付き添うという政次郎を制し、母イチが自分がと訴えます。 それでもまだ譲ろうとしない政次郎に向かって、母親は私ですからと言い放つイチ。 その凛とした姿がとても印象に残りました。 そう云えば、これまでの「宮沢賢治伝」にはお母さんの存在感がほとんどなかったことに、ハタと気づかされたのでした。
#
by anculucinema
| 2023-09-25 23:20
| 邦画
水上勉の料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」を原案として、「ナビィの恋」の中江裕司監督が脚本も手がけ、沢田研二を主演に据えて原作の豊かな世界観をオリジナルの物語につくり変えました。
長野の人里離れた山荘でひとりで暮らす作家のツトム。 山で採れた木の実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを味わいながら筆を取る毎日。 そんな彼のもとに時折、担当編集者である歳の離れた恋人、真知子が東京から訪ねて来ます。 ふたりにとって、旬の食材を料理して一緒に食べるのは格別な時間です。 悠々自適の暮らしを送っているかに見えるツトムですが、13年前に他界した妻の遺骨を未だ墓に納めることができずにいました。 とにかく美味しい作品です。 土井善晴さん監修の料理が次から次へと・・・ しかも主演の沢田研二さんがそのレシピで実際につくったのだという。 主人公が禅寺で料理を覚えたという経緯や、畑で自給自足の暮らしをしていることから、野菜中心のいわば精進料理オンパレードなのですが、どれも美しく食欲をそそられます。 年下の恋人らしい編集者との関係にリアリティは希薄だし・・・ 義母との関係、そのお通夜の話などエピソードには事欠かないのだけれど、でもそれが結局何なの?いう感じにしか見えず・・・ 自給自足、そして日々の食事に丹精を込める・・・ 伝わって来たのはその一点に尽きると思いました。 #
by anculucinema
| 2023-06-17 17:02
東京・幡ヶ谷(はたがや)のバス停で2020年冬に実際に起きた事件をモチーフに、コロナ禍で職も住まいも失い、ホームレスにならざるをえなくなった女性が、自尊心ゆえに社会的に孤立する姿を浮き彫りにした物語。
ある意味、誰にでも起こりうる日本の社会の危惧すべき現状のありようを見つめたドラマです。 北林三知子は昼間は自作のアクセサリーを売りながら、夜は焼き鳥屋で住み込みのパートとして働く生活を送っていました。 が、突然のコロナ禍により仕事と住む処を同時に失ってしまいます。 新しい仕事もすぐには見つからず、ファミレスや漫画喫茶も閉まっていて、途方に暮れる三知子の目の前に、街灯が照らし、暗闇の中そこだけ少し明るくポツリと佇むバス停が浮かびあがりました。 誰にも弱みを見せることが出来ず、結局そのバス停で夜を過ごすことになってしまう三知子。 それはホームレスの仲間入りを意味していました。 いつの間にか、公園で古参のホームレスたちと顔見知りになる三知子。 その中に「バクダン」と呼ばれる老いたホームレスがいました。 東京渋谷・幡ヶ谷のバス停に、いつごろからか初老の女性が夜を過ごす姿が目撃されるようになりました。 彼女はいつもきちんとした身なりで、必需品を詰めたキャリーケースを引っ張り、最終バスが去った後から始発のバスが来るまでのわずかの間、このバス停で過ごしていたようです。 近所の人たちもそれに気づき、心配して声をかけたりしたようですが、丁寧に応えはするものの、人の支援には甘えないという姿勢を崩しませんでした。 試食販売員の仕事を長く続けて来た彼女ですが、年齢とともに次第に仕事が減り、家賃を滞納するようになって追い出され、ネットカフェなどで過ごすようになったようです。 コロナ禍でいっそう厳しくなって、解雇の憂き目に会ってからはいよいよ行き詰まり、バス停で時間を過ごすほかなくなったのではと思われます。 若いころ、彼女は劇団員として活躍し、声優を目指してがんばっていたといいます。 とにかく自立心が強く、自分の道は自分で切り開くという気概にあふれていたようです。 それが他人に迷惑をかけたくない、最後まで自分で何とかしたい、そんな生き方につながっていったようで、その行き着く先がバス停で過ごす夜だったのはあまりに哀しい気がします。 ところがある日、無残にもそれもまた一瞬にして断ち切られてしまいます。 近所に住む、引きこもり気味の中年男の異様なこだわりの犠牲となって、頭上に石を詰めたペットボトルを振り下ろされ、あっけなく命を落としてしまうのです。 いわゆる「渋谷バス停ホームレス死亡事件」として世に知られ、いつの間にか「明日は我が身」をキーワードに、多くの女性たちの共感を集めた事件でした。 この作品はその事件を下敷きに構成されました。 非正規に代表される不安定な雇用環境、今の日常が何時ひっくり返されるかわからない不安、一億総中流から一億総貧困へと崩れ落ちる社会・・・ そんな現状への不満とそれに対する憤りが、この事件への共感へと広くつながったようです。 しかし、ドラマは事実とは違う方向へと進みます。 三知子は男のペットボトルが頭上に振り下ろされる直前に、意を決したように立ち上がります。 そして向かう先はホームレス仲間の「バクダン」のところ。 かつて過激派の爆弾づくりを一手に手掛けていた彼と手を組み、この閉塞した社会を吹き飛ばそうと決意するのです。 それは何か違うのでは?・・・と感じました。 そんなことでこの閉塞感から逃れられるカタルシスが得られる時代ではなかろうに、というのが正直な感想です。 この事件が何かすごく安っぽく理解されかねなくなるように感じ、残念でした。 普通にまじめに生きて来たのに、その先に得られるものは、住むところも人としての尊厳も失ってしまうこの現実を、もっと深く掘り下げてほしかったと思うのが、切なる感想です。 #
by anculucinema
| 2023-06-02 17:07
| 邦画
アイスランドの人里離れたとある場所に住む羊飼いの夫婦。
羊から生まれた謎の存在を育てるふたりの姿が描かれる奇妙な物語。 最愛の娘を亡くした哀しみを引きずったままの暮らし。 そんなある日、出産に立ち会った羊から、羊ではない何かが生まれます。 ふたりはその存在に亡くなった娘のアダという名前を与え、大切に育てることにします。 娘を諦めきれないふたりにとって、アダとの生活はこの上ない幸せの再来でした。 しかし付きまとう母羊や、夫のいかがわしい弟の登場など、ふたりを苛立たせる出来事が重なります。 そしてついに夫婦にとって取り返しのつかない出来事が迫って来るのです。 余計な説明が一切なく、セリフもとても少なく、多くが観る人の想像にゆだねられます。 それでも何となく全体の流れは分かります。 アイスランドの穏やかな自然がとても美しいのですが、それとは裏腹に初めから終わりまで、得体のしれない不穏な空気が漂い続けるのがとても不気味です。 ふたりが取り上げた羊の子。 可愛い羊なのですが、何やらとんでもない存在のようだと暗示され・・・ 実は、それは羊の頭を持った人の子どもだと少しずつ明らかにされます。 観ているこちらも初めはそのことに違和感を抱くのですが、いつの間にかその存在に愛着を感じ始める演出が巧みです。 そこへ夫の弟が不意に現れます。 この男は兄嫁に色目で迫るなど素行があまりよろしくない。 半獣の子どもを見るなり猟銃を向けるような危険な男なのに、なぜかアダを可愛がり始めます。 こちらとしては、ますますこの尋常じゃない関係を当たり前にさえ感じ、異形のアダを愛らしいふたりの子どものように確信し始めるのですが・・・ ただ1匹だけ家の周りにいつも近づき、追い払ってもすぐにやって来る羊の存在が気になります。 アダの生みの親の母羊です。 マリアはそれに苛立って、ついにはその羊を射殺し地中に埋めてしまいます。 平穏な日常なのに一方で展開するのはどこか異常な光景。 そのバランスの悪さが不気味さをさらに膨らませ・・・ 一体この結末はどこへと向かうのだろうか? 頭の中が何だか不安と疑惑で一杯になり始めるその瞬間、1発の銃声が口火を切り、唐突にラストのクライマックスへとなだれ込みます。 なるほど、そういうことか? そういう終わり方をするのか? 久々に最後までハラハラドキドキが連続する面白い映画体験を満喫させてもらいました。 シネコンの片隅で細々と静かに上映されていた小品ですが、思いがけない作品に出会ったと感じさせる秀作だと思いました。 #
by anculucinema
| 2023-06-02 17:02
| 外国画
|
ファン申請 |
||