「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

フォックスキャッチャー ~ 満たされぬ想いの果てに (2015/7/9)

1996年にデュポン財閥の御曹司がレスリングの五輪金メダリストを射殺した事件を取り上げた作品で、実話です。



富と名声と野望、そして孤独が渦巻く心の奥の暗い部分で交錯する大富豪と金メダリストのゆがんだ相互依存の葛藤が、圧倒的な迫力で描き出されます。
カンヌ国際映画賞など数々の賞に輝きました。

レスリングの五輪金メダリストでありながら、経済的に苦しく練習環境にも恵まれないマーク。
突然、大財閥の御曹司ジョン・デュポンから、ソウル・オリンピック金メダル獲得を目指したレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に加入を誘われる。
心おきなくトレーニングに専念できるその申し出は、マークにとって願ってもない話だった。
やがて、それまでの名声や孤独にさいなまされた互いの虚しさを埋めるかのように惹かれ合うふたり・・・
しかし、デュポンの異常な性格とその病んだ言動が少しずつふたりの間に隙間をつくり始める。
そんな折、マークと同じ金メダリストである兄デイヴがチームに参加することになる。
はじめは参加を拒んでいたデイブだったが、家族とともに過ごせる条件を整え、参加を促すデュポンの強い要望に応えたのだった。
崇拝しながらも煩わしさを感じ始めていた兄の加入は、その影から抜け出すことを願い始めていたマークにとっては受け入れ難い出来事だった。
デュポンとの亀裂はますます深まる。
同時に少しずつデュポンの秘めた狂気が勢いを増し、やがて誰もが予測出来ない事態へと突き進んでいくことに・・・

e0240191_23492660.jpg

デュポンをスティーヴ・カレル、マークをチャニング・テイタム、そして兄ディヴをマーク・ラファロが演じるという布陣。
この3人の白熱した演技合戦がすべてと云って過言ではありません。

生まれながらに富と権力が約束された御曹司デュポン。
しかし、その実態は強権的な母親(演じているのは往年の名女優ヴァネッサ・レッドグレイヴ)に牛耳られた空虚な裸の王様でしかありません。
子供のころ、唯一の親友だと信じていた子にさえ、母親がお金を渡しているところを見てしまったと語るエピソードには、絶望的な孤独が感じられます。
それでも何とか母親に受け入れて欲しいと虚勢を張るその姿が憐れです。

e0240191_2349589.jpg

一方、国民的英雄とは名ばかりの貧しさに喘ぐ金メダリストの兄弟。
特に、兄を親代わりとしなければならない不遇な少年時代を過ごしたマークもまた、鬱屈した感情を持て余していました。
どこまで行っても満たされることのない欠落感を共有するデュポンとマークが惹かれあうのは当然と云えます。
しかし、片や大富豪、片や貧しいアスリートではその関係が次第に軋まざるを得ないのもまた当然・・・
そこに兄を巻き込んで、事態は悲劇の結末へと向かうほかなかったのです。

e0240191_23502369.jpg

度々捉えられる広大だけれど陽のあたらない殺伐とした豪邸のロングショットをはじめ、この映画に映る風景は何もかもがただ哀しく、そして云いようのない不安を掻き立てます。

その荒涼とした不気味さに、表向きは自由と平等を掲げるアメリカという国の隠された深い闇を見る思いがしました。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-06-03 11:10 | 洋画 | Trackback(3) | Comments(0)

サンドラの週末 ~ 苦しみに育てられ (2015/7/1)

カンヌ国際映画祭受賞の常連、ベルギーのダルデンヌ兄弟による、労働問題を反映させた社会派ドラマ。
従業員のボーナス支給と引き換えに解雇を言い渡された女性が、自身の解雇撤回のため奔走する姿が描かれます。



体調不良のため休職していたサンドラが職場に復帰しようとした矢先の金曜日、ボーナスを支給するためには一人クビを切らなくてはならないと、解雇を告げられてしまう。
同僚が掛け合ってくれたおかげで、週明けの月曜日に職員たちが投票を行い、自分のボーナスをあきらめる者が過半数に達したら、解雇を回避できるという。
こうして同僚たちを訪ね、説得して回る、サンドラの長い週末が始まった。

e0240191_1521780.jpg

解雇撤回を求めて奮闘するヒロインとなればとても勇ましい感じがしますが、主人公サンドラはうつ病あがりですぐに心が崩れてしまう、とても弱い女性です。
メソメソしてばかりで、ことあるたびにクスリに手をのばし、チョッとしたことで落ち込むとすぐに寝込んでしまうありさま。
でも、マイホームを手にしたばかりで、ふたりの子供の母でもある彼女には、仕事を続けなければならない事情があります。
しかし、台所の苦しさは同僚たちだって同じ。
自分より苦しい仲間にボーナスをあきらめてくれと云うのはとても酷なことです。
仲間たちも彼女を何とかしてやりたいと思いつつも、背に腹は変えられず、つらい選択を迫られます。
そんな状況に何度も心がくじけ、自己嫌悪に陥ってしまうサンドラ。
その都度、夫や親友の叱咤激励でそれでも何とか前へ進もうとします。

e0240191_23443650.jpg

そんな彼女の訪問に思わず泣き出してしまう同僚も・・・
以前、彼女に仕事の上で助けられたのに、上司に脅されボーナスへと走った自分が許せなかったと、彼女への支持を約束します。
他にも少しずつ彼女を支持する仲間が現れ、わずかながら望みの光も差し込んで来ます。

この作品が、労働問題を告発するだけの社会派ドラマを越えて胸に迫るのは、サンドラの2日あまりの道のりが、我々の人生とも重なり合ってくるからです。
世の中の理不尽さに、折れた心を抱え、立ちすくんでは涙を流し、それでも周りの人たちに支えられ、何とか前を向いて踏ん張って来た、そんな多くの人たちの心を揺さぶるのだと思います。

e0240191_2337598.jpg

サンドラは苦しんだ分だけ得がたい自信も手にしました。
泣き虫のダメ女から、自分の足で更なる一歩を踏み出す女性に成長したのです。

おどおどした当初の表情から、何かをふっきったさわやかな表情へと変化する顔つき・・・
どこにでもいる普通の人間が脱皮していく姿を、アカデミー女優の華やかさを封印して、見事に演じ切ったマリオン・コティヤールの存在感が心に残ります。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-29 12:41 | 洋画 | Trackback(4) | Comments(0)

あなたを抱きしめる日まで ~ 本当の慈愛とは? (2015/6/20)

10代で未婚の母となり、50年前に引き離されたその息子との再会を願う母親の実話を映画化。



1952年アイルランド。
婚外交渉で出産したフィロミナは強制的に修道院に入れられ、息子にも自由に逢わせてもらえない。
そして、その息子アンソニーは修道院の手により里子に出されてしまった。
それから50年、イギリスで娘と暮らしながら常に生き別れた息子のことを案じ、ひそかにその消息を捜していたフィロミナは、娘の知り合いのジャーナリスト、マーティンと出会う。
真実を求めようと立ち上がるふたり・・・
しかし、そんな彼らを修道院側は記録を喪失したの一点張りで頑なに拒む。
ジャーナリストのカンで、何かが隠されていると感じたマーティンは独自の聞き込みを進め、アンソニーがアメリカに連れて行かれたことを突き止め、ふたりはアメリカへと向かう。
そこで、息子アンソニーはアメリカの裕福な家庭にもらわれ、レーガン政権の側近を務めるまでになっていたこと・・・
しかし、ゲイだった彼はエイズに感染し、すでに亡くなっていたこと・・・
さらに、彼は決して母のことを忘れず、亡くなる前に修道院を訪ね、しかもそこに葬られていたことが判明する。

e0240191_0333295.jpg

ベタな邦題からはお涙ちょうだいのセンチなメロドラマが想像されますが、フィロミナとマーティンのユーモラスなやり取りなどを見ても、事実が自然にそしてとても冷静に描かれている印象を受けました。
そこから、この作品が本当に伝えたかったのは、カトリック修道院の非道さを糾弾して、我が子を想う母の愛情に涙させることではない、と気づきました。
永年の隠された想いやそして明らかになった事実を前にしても、決して嘆きに溺れたりせず、誰かを恨むことも憎むこともなく、全てを赦し、それをありのままに受け入れるフィロミナ・・・
その本当の信仰心の気高さこそ、この作品の訴えたかったことそのものだと感じました。

e0240191_034568.jpg

当時の修道院は、アイルランドで支配的だった厳格なカトリックの戒律を重んじる道徳観にもとづき、婚外交渉した女性などを強制的に収容していました。
女性たちは修道院内の洗濯所で働かされ、家族との面会はおろか私語までも禁じられ、刑務所以上の過酷な扱いを受けていたと云われています。
2002年の映画「マグダレンの祈り」にもその非人間的なようすが克明に描かれていました。

e0240191_0343118.png

ラスト近く、フィロミナにアンソニーの居場所を教えず、しかも訪ねてきたアンソニーにも母の消息を知らせず、そしてまさにその場所に息子が埋葬されていることさえも彼女に隠し続けた修道院の非道さを責めたてるマーティンに対し、老シスターのひとりがこう云い放ちます。

「私はこの歳まで純潔を守り通してきた。
 だから神の道に近づけるのだ。
 あの娘たちは肉の欲におぼれ堕落した。
 だから苦しみを与えるのが当然なのだ。」と・・・

何というおごり高ぶった上から目線・・・
神の慈愛のかけらも感じられません。

若いころ、何かを掴みたくて必死に聖書を勉強した時期がありました。
けど、なぜかキリスト教徒にはなりきれなかった。
それが何故だったのか、少しわかるような気がしました。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-26 10:42 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

0.5ミリ ~ 現代風 風のマタサブロー? (2015/5/16)

奥田瑛二の長女で映画監督の安藤桃子が、自身の介護経験をベースに執筆した小説を映画化。
妹の安藤サクラが主演を務めます。
ある事件に巻き込まれて職も住むところもすべてを失くした介護ヘルパーが、生きるため、半ば強引に押し掛ける在宅ヘルパーを始めたことから巻き起こる騒動を通して、孤独な老人たちとの触れあい、その心のつながりを浮き彫りにします。
<0.5ミリ>とはそのために歩み寄るべき心の尺度を表わしています。



介護ヘルパーのサワは「おじいちゃんが亡くなる前にいっしょに寝てあげて!」という派遣先の家族から思いがけない依頼を受ける。
ほんの添い寝するだけの約束だったが、それがとんでもない事件に発展してしまう。
そのせいで職を失い無一文となって困窮したサワは、町で見掛けた何となくワケありの老人を見つけては、頼まれもしないのにその家に押しかける在宅ヘルパーをはじめるのだが・・・

e0240191_15444886.jpg

最初の事件の発端となったエピソードの顛末が、ラストにからんで来るという構成になっています。
そして、その間に挟まれた押しかけ介護のそれぞれのエピソードには何の関連性もありません。
それぞれ独立したお話として展開します。
でも、最初と最後のつじつまはとりあえず合うので、収拾がつかなくなって欲求不満におちいる危険性は何とか回避されます。

e0240191_1545770.jpg

家に押しかけては勝手に在宅ヘルパーになってしまうサワは、とても厚かましい女性のように見えますが、実はとても気のいい働き者です。
介護だけでなく掃除、洗濯、炊事などの家事をテキパキとこなします。
しかもそれだけでなく、孤独な老人たちの心をなぐさめる何とも不思議な力を持っています。
はじめは迷惑がっていたジィちゃんたちも、次第にくつろぎの表情を見せ、やがて心から「ありがとう」と云うまでになります。
彼女の存在が、限りなく「死」に近づいていたジィちゃんたちに、再び「生」の輝きをもたらすのです。

e0240191_15434379.jpg

老人介護を社会問題としてことさらに追い求めようとしているワケではなく、また主人公のサワもお相手のジィちゃんたちも、魅力的ではあるけれどどこか現実感にはとぼしい。
ただ、ある日どこからともなくやって来て人々に幸せの風を吹きかけ、そしてまたどこへともなく消えて行く。
そんな彼女の佇まいが・・・

そう、つまりこれは宮沢賢治の『風の又三郎』に似た寓話なのだと思えば合点がいきます。

のらりくらりとしたとりとめのない印象なのに、3時間強の上映時間を苦痛に感じさせない・・・

とても不思議な映画でした。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-01 15:54 | 邦画 | Trackback(2) | Comments(0)

6才のボクが、大人になるために。~ 人生は瞬間の積み重ね (2015/4/29)

先日、わざわざ京都シネマまで駆けつけたのに、チケット完売で見られなかったいわくつきの作品。
地元のイオンシネマで見ました。
朝早くから京都まで行かずともよかったという皮肉なオチまでついて・・・



ひとりの少年の6歳から18歳までの成長と家族の軌跡を、実際に12年をかけて撮影するという斬新な手法で描かれた作品。
主人公の少年メイソンを筆頭に、父親役、母親役、姉役の4人の俳優が、12年間同じ役を演じ続けました。
監督はリチャード・リンクレイター・・・
第87回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞ほか計6部門にノミネート、母親役のパトリシア・アークエットが助演女優賞を受賞。

e0240191_17314571.png

米テキサス州に住む6歳の少年メイソン。
シングルゆえのキャリアアップのため、大学に入学した母に従いヒューストンに転居。
そこで多感な思春期を過ごす。
流浪の旅から戻って来た父との再会、母の再婚、再婚した義父の暴力、彼自身の初恋などなど・・・
さまざまなことを経験し、大人になっていくメイソン。
やがてアート写真家という将来の夢を見つけ、母親のもとを巣立つことに・・・
12年という歳月は家族にも大きな変化をもたらす。

e0240191_17331811.jpg

まさしく題名通り、6歳の男の子がオトナになるプロセスをただただ追いかけた作品。
しかもドキュメンタリーではなくドラマです。
ただ、劇的なストーリーが展開するワケではなく、その場その場のシチュエーションに各々が反応する様子が記録されているという印象です。

e0240191_17341950.jpg

この作品のテーマはズバリ「時の流れ」に尽きます。
可愛い坊やが1年ごとに精悍な顔つきの若者に変貌しオトナになっていく、そのリアルな姿を目の当たりに出来る醍醐味です。
少年が、親たちに振り回されて理不尽な思いをしたり、その時々の大切なものを失くしたりして、孤独や恋心といった感情を知るようになる・・・
そんな節目の瞬間がひとつひとつすくい取られます。
つまり、ラストでオトナになったボクが語るように「時の流れ」とは瞬間の積み重ねなのです。

e0240191_17445354.jpg

そして、その瞬間の積み重ねこそが「人生」・・・
その意味で、この映画は6才のボクがオトナになるのだけではなく、その家族の「人生」の移ろいをも描いているのです。

だからこそ、ラスト近くに吐露される母親の心情が切なく哀しく胸に響きます。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-01 15:41 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

おみおくりの作法 ~ 人生は必ずむくわれる (2015/3/26)

久しぶりの京都シネマで見たイギリス映画・・・
身寄りのない死者を弔う仕事をこなす、うだつも風采もあがらない孤独な地方公務員の男が、心をこめて故人の人生をたどるうちに、新たな人々と出会い、そこから生きることの意味を見つめ直す物語です。
この前に見た「悼む人」と重なり、人生の最期にまつわる、ほろ苦くて暖かくやさしい物語に魅了されます。



ロンドンの南部、ケニントン地区の民生係である44歳のジョン・メイ。
孤独死した人の葬儀をたったひとりで執り行うのが彼の仕事。
几帳面な彼は、誠実に故人と向き合い、心をこめた弔いをしてきたが、そのていねいな仕事ぶりが仇となり、コストダウンの解雇を言い渡されてしまう。
そして、近所に住む年配のアルコール中毒患者ビリー・ストークの弔いが彼の最後の案件となった。
自分の住まいの近くで、その人のことを知らぬままにひとりの人間が孤独死したという事実にショックを受けたジョンは、いつも以上にその仕事に熱心に取り組み、故人を知る人を訪ね、葬儀に招くためイギリス中を駆けまわる。
その旅の過程で出会った人々と触れ合う間に、彼もいつのまにか自分を縛ってきた決まりきったワクを乗り越え、知り合ったビリーの娘ケリーにも励まされ、かすかな輝きの光が差し込み始めたかのように見えたのだが・・・
まもなくビリーの葬儀が執り行われることになったその矢先、ジョンの身に降りかかったのは?・・・

e0240191_13272622.jpg

アンクルも役所の民生福祉が最後の仕事場所でした。
こうした孤独死と向き合うのは日常茶飯事だったし、その人たちの境遇や亡くなった後のゆかりの方々の対応など、身をもってリアルに感じました。

誰にも訪れる死の時間を心こめて見守り、それに対して敬意を払い、真摯に向き合うジョン・・・
たとえひとりぼっちの死であったとしても、生きている間には誰かと出会い、関わりあって、新たな人生の旅立ちを歩み出してきたはず・・・
彼は弔いの仕事を通して、どんな人の人生にも等しく価値があるということを訴えかけます。

e0240191_13275322.jpg

しかし、ジョン自身が思いがけない不幸に見舞われます。
このまま誰に看取られるでもなく、その存在すら忘れ去られてしまうのだとしたら、あまりにも救いがなさすぎる。
そう思いはじめたそのとき・・・

そこには素晴らしいラストが待っていました。
たとえどのような人生であったとしても、最後は必ずむくわれるのだと、まるで神さまが用意してくれたかのような・・・

珠玉のラストシーンが・・・
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-01 15:19 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

悼む人 ~ 生きていた姿をきざむ (2015/3/11)

ベストセラー作家・天童荒太が2008年の直木賞に輝いた小説を、原作に惚れ込んで舞台化も実現させた堤幸彦監督が映画化。
作者は実際に主人公と同じ試みを体験し、7年の歳月をかけこの小説を完成させたといいます。

事故や事件で亡くなった縁もゆかりもない人たちを悼みながら旅をする青年。
彼を中心に、さまざまな事情で彼と関わりあう人々・・・
それらの人々を通して、生と死を見つめるドラマが展開します。



不慮の死を遂げた人々を〈悼む〉ため、日本全国を旅する青年・静人。
彼にとって〈悼む〉とは、死者が生前、誰に愛され、誰を愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか、その生きている姿の記憶を心に刻みつけること。
山形に通りがかった彼は、そこでさまざまな人々に出会う。
たとえば、偽悪的なゴシップ記事を書き続け“エグノ”と揶揄されていたが、なぜか静人に引きつけられ取材をはじめる、雑誌記者・蒔野・・・
夫に懇願されその手で彼を殺した過去をもち、今もその亡霊に苦しみながら、救いを求めつつ、いっしょに旅に同行する倖世・・・
一方、末期癌で余命幾ばくもない状態ながら、彼を信じ「誰かを愛してほしい」と願い続ける母・巡子。
静人の「悼む」行為への偏見から、妊娠しているにもかかわらず、恋人から別れを迫られてしまった妹・美汐。
傷つき、苦しみながら、それでも前を向こうとするその母娘を支え、同じように旅に出たまま帰ってこない静人にも心を寄せる父・鷹彦と従兄弟の怜司。
静人と彼を巡るこれらの人々が、苦しみから解放され、生きることの意味と、真実の愛をみつけることができるのだろうか?・・・

e0240191_1016498.jpg

ラスト近く洞窟にいたるシーンで、やっぱり結局手あかにまみれた「愛こそすべて」の結論で終わるのか?と一瞬がっかりさせられましたが、いい意味でそれは見事に裏切られました。
人が死ぬということ、そして人が生きるということを、真正面から誠実に見据えた、骨太なとてもいい作品だと思います。

きっとすぐに打ち切られるから早く見に行ったほうがいいよ、とアドバイスがあったので急いで見ましたが、その通りでした。
2週目の始まりで観客はたった4人・・・

感情移入ができないから面白くないという意見が多く、評判はよろしくないらしい。
確かに歯の浮くような優しさとか、どうでもいいようなありふれた感動とは無縁の作品ですが・・・

じっくり考える知性よりも、すぐに訴えかけてくる感情に流される世相なのかも?・・・

だとしたら、その行き着く先はとても危うい・・・
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-02-15 11:00 | 邦画 | Trackback(2) | Comments(0)

エクソダス 神と王 ~ 当世風スペクタクル史劇 (2015/3/1)

旧約聖書の「出エジプト記」を映画化した作品。
預言者モーゼのとても有名な話ですね。



エジプトの王子として育てられたけれど、実はヘブライ人(ユダヤ人)だったことが明らかになるモーゼが、数奇な運命を経て、奴隷として苦しんでいたヘブライの民を神の導きによりエジプトの地から脱出させるお話です。

余談ながら、このおなじみの旧約の一節には“ 十 ”というキーワードが幾度となく登場します。
ヘブライ人を救うために神がエジプトに科す「十の災い」・・・
その十番目が幼児すべてが死ぬという災い。
ヘブライ人たちは神の教示により、家の戸口に羊の血を塗っておいたためにこの災いから逃れたとされ、それが今も続く「過ぎ越しの祭」のいわれです。
また、エジプトから解放され統率を失いかけたヘブライの民を見かねた神が、シナイ山にモーゼを呼び寄せ、与えたのがあまりにも有名な「十戒」です。

e0240191_1712491.jpg

この映画では、神は子供の姿を借りてあらわれる仕掛けになっていました。
おそらく天使の設定だったのかも知れません。
モーゼが盛んに反論したり口ごたえしてましたから・・・
今までの、聖書を題材にした映画にはあまり見られない場面だったのでチョッと驚きました。

1956年製作の、チャールトン・ヘストンがモーゼを演じ大ヒットした「十戒」などご存知の方も多かろうと思います。
エジプトを脱出するときに紅海が割れるシーンが見せ場で、後々までの語り草でした。
この作品も予算のほとんどをVFXにつぎ込んだというだけあって、ヘブライ人の奴隷が大きな神々の像を造らされている現場や他民族との戦闘場面、十の災いのこの世らしからぬ出来事やエジプトからの大脱出のシーンなど、「十戒」とは較べものにならない大迫力のスペクタクルでした。

e0240191_172018.jpg

でもただそれだけのことで、結局ハリウッドお決まりの、またかとうんざりするようなアクション映画となんら変わらず・・・
「十戒」に限らず「ベンハー」や「天地創造」などのかつての聖書劇や史劇には、スペクタクルだけでなく、気品を感じさせる格調の高さのようなものがあったように思うのですが・・・
金にモノをいわせて大掛かりにはなったけど、何だか底の浅い印象だけが残りました。

アカデミー賞を受賞した「グラディエイター」では、その片鱗を感じさせたリドリー・スコットですが、今回はとても残念です。
[PR]

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-02-07 23:53 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)