ダライ・ラマ14世 ~ 広い視野を持て (2025/10/2)

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王14世に6年間密着したドキュメンタリー・・・
1959年に中国の侵略と弾圧を受け、法王がチベットの民と逃れ亡命政府を置いたインドのダラムサラと、今もチベットの伝統と風習が生きるラダックにカメラが潜入しました。
脈々と受け継がれるチベット仏教の教え、その源であるダライ・ラマの存在、さらに平和な世界をめざし人々に寄り添おうと腐心する法王14世の姿勢が浮き彫りにされます。



法皇は、2008年3月中国チベット自治区で起きたチベット人による暴動や、同年8月の北京オリンピックの聖火リレー妨害のニュースが流れた際にも暴力を否定し、常に暴力からは何も生まれないと訴え続けています。

また、仏教的な教義については、法王の専門的な著作を何冊か読んだので、ここで語られる内容はそれに即した基本的なことと感じました。

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それよりも興味深かったのは、亡命の地ダラムサラに暮らす若者と日本の若者との対比です。
「勉強が好きか?」との質問に、ダラムサラの若者たちが全員「好き。自分の解らないことが明らかになるから・・・」と答えるのに、日本の若者はほとんどが「余り好きではない。しなければいけないから・・・」と答えます。
さらに「勉強する目的は?」の質問に、ダラムサラは一様に「チベットの社会に何らかの役に立ちたいから・・・」と答えますが、日本は「いい学校に入って有利な就職をするため。そうでないと老後も不安・・・」と答えるのです。

将来の理想の社会の姿から振り返って、今自分がどうあるべきか?と考えるダラムサラ・・・
将来の社会には不安しかないから、とにかく今を享受するだけ!と位置づける日本・・・
この差は大きいし、この国の先行きはそれこそ危うい、と感じました。

少し前、自己責任論について議論したことがあるのですが「自己責任にすべて帰着するのは格差を広げるだけで危険、同時に補てん機能としての社会的枠組みが必要だ」とするアンクルに対し「自分が努力した結果だからそれがまず尊重されるべき」という反論でした。
結局、議論は平行線をたどったのですが、その時に、あぁこの人たちには自分という視点しかないのだな、と感じたことがあります。
自分の努力が評価されるべきというのは間違ってはいないのですが、もし何らかの理由でそうは出来なかったら?という立場や角度からも見ようとする視点が抜け落ちているのです。

このときの経験や先の日本の若者の話から伝わってくるのは・・・
昨今のこの国に生きる多くの人々の視野がきわめて狭いということです。
この視野の狭さが、この国に広がる閉そく感や、社会が右傾化に走る要因だと思います。

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映画の中で、法王も今の日本の状況を同様に捉えていて、日本人には英語を覚え世界に出てもっと視野を広げることが大切、と指摘していました。

これに限らず、ダライ・ラマ法皇がこの映画の中で繰り返し「視野を広げ、多角的に考えなさい!」と訴えていたのがとても印象に残りました。

アンクルは、仏の教えとは要約すれば「足るを知る」ことと「己を忘れて他を利する」ことに尽きると考えています。
それはつまり、自分にのみとらわれず、幅広い地点に立って視ることにほかならないと、ダライ・ラマ法皇に教えられた気がしました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-29 00:04 | ドキュメンタリー | Trackback | Comments(0)

さよなら、人類 ~ 可笑しくてやがて哀しき (2015/9/20)

ユニークなスタイルで有名なスウェーデンの奇才ロイ・アンダーソン監督が、第71回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した作品です。



シュールでかつブラックな笑いに満ちた39の挿話・・・
とはいえ、それぞれのお話しに脈絡はありません。
それでも、構図、配置、配色、美術など作品の細部にまでこだわり完成に4年を費やしたとか・・・
まるでくすんだ絵画のひとつひとつが動き出したような印象を受ける作品です。

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面白グッズを販売しているサエない2人組のセールスマン、サムとヨナタン・・・
彼らが一応主役らしいのですが、彼らを中心にストーリーが展開するワケでもありません。
彼らが行く先々で遭遇する一風変わった人々の、どうあがいてもうまくいかない、悲喜こもごもの人生が次から次へと綴られます。

例えば・・・
フェリーの食堂で、お金を払って注文した食べ物に手もつけずに死んでしまった男の、その食べ物を誰か要りませんか?と死体を横目に他の客に呼びかけるウエイトレスに、ひと呼吸おいておずおずと手を挙げる男とか・・・
天国まで持っていくと宝石入りのバッグを手放さない亡くなる直前の老女とか・・・
何でもない市井の人たちの日常のひとコマが、どこか滑稽で切ない情景として浮かび上がります。
そして、そこに「元気そうで何より」って云うセリフがたびたび被さるのが、シニカルで皮肉っぽい。

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そうかと思うと、現代のバーに不意にスウェーデン国王率いる18世紀の騎馬軍が立ち現れたり・・・
どこかの兵士たちがアフリカの奴隷を巨大なローラーに放り込んで火にあぶり、その阿鼻叫喚ぶりを鑑賞する人たちの表情が捉えられたりとか・・・
ありえないし、チョッと背筋が凍ったりするエピソードが挟まれていたりもします。

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とにかく不思議な感覚の映画です。
オムニバスというよりもまったく関係ない39のコントが集められていると云った方が正確かも・・・
それでいて全体にどこかつながっている演出が心憎い。
(先の話に出ていた人物が次のシークエンスで画面の端にチョロッと映ってたりします。 上のシーンのふたりが下のシーンの右端にチラッと・・・ちなみにこのふたつのシークエンスはまったく関係ない話です・・・)

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全体に白く埃っぽい画面で、登場人物たちも同じように白く生気のない顔をしています。
奥行きが強調された背景と相まって、どこかリアルさに欠けています。
しかも、どの話もよく考えればシリアスなのになぜか可笑しいのです。
それは、登場人物の会話や動きが、どこかワンテンポずらされているからです。
その間合いがとても面白いと思いました。
このとぼけてどこか人を喰った『間』がこの作品の真髄だと思います。

そして、そこに可笑しいけどやがて哀しい、人間のホントの姿が凝縮されているように感じました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-28 23:52 | 洋画 | Trackback(3) | Comments(0)

セッション ~ 狂気の末の高みとは? (2015/9/12)

名門音楽学校に入学したドラマー志望の青年とスパルタ的指導で恐れられる伝説の教師が繰り広げる狂気のレッスンとそのゆくえが描かれます。
アカデミー助演男優賞ほか3部門をはじめ数々の賞に輝いた作品。



名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになりたいと決意したニーマン。
何とかして有名なフレッチャー教授の目に留まりたいと考えていた。
彼が指揮する“スタジオ・バンド”に所属すれば、成功は約束されたも同然との評判だったからだ。
そして、何とかフレッチャーの指導を受けられることになったニーマンだったが・・・
ひたすら罵声を浴びせ、生徒たちを恐怖で支配しながら、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さないフレッチャーの指導。
その指導に必死に食らいついて行くニーマンだったが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気を帯び、ニーマン自身も次第に正気を失っていく。
常にもっと上をめざすフレッチャーの狂気はさらに加速、ニーマンはギリギリのところまで追い詰められてしまう・・・

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最初から最後までとても引き締まった印象の映画です。
宣伝コピーが自画自賛する「ラスト10分間の衝撃」まで飽きさせることなくひたすら走り続ける感じです。
確かに名作と呼ばれるにふさわしい作品です。
とにかくハンパな期待は次から次へと裏切られ続けます。
そして、衝撃的というのとは少し違うけれど、それでも常識的には考えもしなかった結末に至ります。
終始、裏切り続けられる緊張で欲求不満になりかけていたこちらの心理に、思いがけないカタルシスをもたらす幕切れです。
なんとも不思議な余韻が残りました。

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ジャズドラマーの話だけど、単なる音楽映画とは違います。
鬼教師と生徒との根性ドラマなんて生やさしいものでもありません。
ここで描かれるのは、才能とか情熱とか、そんなありきたりの話を超えてしまった「狂気」です。
そういう意味では現実にはありえない、ある種のファンタジーなのかも知れません。

それにしても、アンクルはこんな風にして超人的に得られた技術に支えられる音楽なんて欲しくもないですね。
ワタシが好きなのは、原始的で心のままに湧き出る感情にのみ支えられた音楽です。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-28 23:33 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

アリスのままで ~ すべてを失くしても (2015/9/5)

若年性アルツハイマーと診断された50歳の言語学者が苦悩し葛藤する姿を、彼女のまわりの家族とのつながりに絡めて描かれた作品。
ヒロイン・アリスを演じたジュリアン・ムーアが熱演、アカデミー賞オスカーを手にしました。



ニューヨークの大学で教鞭をとる50歳の言語学者アリスは、講義中に言葉が思い出せなくなったり、ジョギング中に自宅までの道がわからなくなったり、といった異変に気づく。
それは若年性アルツハイマーの症状と診断され、家族のあたたかい支えもむなしく、日ごとに記憶や知識が薄れていく。
そんなある日、ふとしたことから記憶が薄れる前に自らがパソコンに残したビデオメッセージを見つける。
そこには記憶を失うアリスに、自分が自分でいられるように、まだまともだった彼女の誘いかけが録画されていた。
アリスは食い入るようにそれを見つめ、そして画面の中の自分が語ることを実行しようとするのだが・・・

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アルツハイマーを患い次第に症状が進む恐怖と家族のとまどいが、アリス本人の視点で描かれるのが新鮮です。
ジョギング中に道に迷ってしまい、その見慣れたはずの情景がゆがんで現れる場面など、自分もそんな状況に陥ったかのような錯覚におそわれます。
世界がこんな風に変わって行くのかという実感は、実際にアルツハイマー型認知症の母を毎日見ているアンクルには、とてもリアルに迫って来ました。
さらに、この病気は遺伝性が確実とも・・・
ということは、アンクルにもその可能性が十二分にあるのだ、とあらためて思い知らされました。

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輝かしい学歴や職歴、誇らしい肩書、そして得た社会的地位・・・
それらが徐々にガラガラと崩れ落ちていく、その予見にアリスは恐れおののきます。
それゆえビデオレターを残し、もはやタダ以下に成り下がった自分を抹殺しようとさえするのです。
しかし症状が進行すれば、本人にとってはそんなことなどもうどうでもよくなります。
すべてがなくなっても、そこには本来の彼女が「アリスのままで」残っているのです。
云いかえれば、経歴や肩書、ましてや社会的地位など、そんなものは究極の個人にとって何の意味もないのでは?・・・
そんな風に感じました。
突き詰めれば、基本的にヒトは弱々しく、ただハダカで立ちすくんでいる存在にすぎないのです。

アンクルはおのれのライフスタイルとして、経歴や肩書や社会的地位などには目もくれず、ただハダカの自分をさらけ出して生きたい、と願い続けてきました。
現実には不可能に近いことかもしれないけれど、そう心がけたいと思うのです。

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自我が崩壊して行くアリスとの関係と、自分の生き方とを天秤にかけざるを得ない家族たち・・・
そんな中で、常にアリスに反目し合っていた末娘が、彼女を最後までサポートしようと決断します。
あたかもリア王とコーディリアの関係を思わせるようです。

ジュリアン・ムーアの演技がさすがです。
「めぐりあう時間たち」のローラ・ブラウンにも感嘆しましたが、この作品でも自分からのメッセージに見入るシーンなど迫真の演技を見せます。

そして、反抗していた母を最期まで看取る覚悟を決める、末娘のクリステン・スチュワートの演技も心に残りました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-26 17:20 | 洋画 | Trackback | Comments(0)

ジュラシック・ワールド ~ 懲りない世界 (2015/8/27)

スピルバーグのおなじみ『ジュラシック』シリーズ第4弾。
恐竜の巨大テーマパークで、遺伝子操作によって生み出された新種の恐竜が脱走、人間や恐竜を襲うようすが描かれます。



世界的な恐竜のテーマパーク『ジュラシック・ワールド』・・・
ジャイロスフィアという球体の乗り物でめぐる恐竜見学や、水生恐竜モササウルスの水中ショーなどで人気を博していた。
さらなる人気を得たい責任者のクレアは、恐竜の飼育係オーウェンの警告にもかかわらず、遺伝子操作により凶暴で高い知性をもった新種の恐竜インドミナス・レックスをつくり出す。
しかし、あろうことかそのインドミナス・レックスが逃亡し、ジャングルの奥深くへと姿を消してしまう。
そいつは想像以上に知能も発達していることが明らかになり、それが解き放たれたとなれば、恐竜も人間もパーク内の生き物すべてが危険にさらされる最悪の事態に向かうのは火を見るより明らかだった。

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子供のころからこういう類いの怪獣映画が大好きで・・・
今もキングコングやゴジラなどにワクワクします。
もちろん、このジュラシックシリーズも第1作から欠かさず見たのは当然のこと。

ザーッとあらすじを見ただけでわかるように、ストーリー展開は第1作のジュラシックパークとよく似ています。
ただ、第1作のあの新鮮な驚きと感動はあまり感じることが出来ませんでした。
VFX技術があまりにありふれて、もはや慣れきってしまっているせいかも知れませんが、やはり第1作のあの完成度にはかなわないというのが、まず感じたところです。

第1作にも流れてた「生命倫理や生命の進化史」に対する哲学的な基調はこの作品にも感じられました。
しかし、それ以上に感じられたのが資本主義の論理と倫理に関する視点でした。
運営されるテーマパークも一事業である以上、観客のニーズに常に応えるべき進展とそれにかかるコストが、何にもまして優先されます。
そのため、環境や安全への配慮などは利益に貢献しないと後まわしにされてしまいます。
そんな設定がきわめて現代的なテーマだと感じました。
さらに、何度も危険な状況に陥ったのに、目先にとらわれ性懲りもなく、手に負えない怪物を次々と生み出すところなど、あれだけの災禍にも関わらず、またぞろ危険なモノを再稼働させようとする、どこぞのアホな国への警告ではなかろうか?とも思いました。

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それにつけても、ヒロインのクレアがあまりにセクシーすぎるのが気になりました。
この緊迫した場面でお色気ムンムンさせてどないするねん!って何度もツッコんでしまいました。

年寄りのひがみと云えばそれまでかもしれないけど・・・
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-26 17:11 | 洋画 | Trackback | Comments(0)

雪の轍 ~ 赦すことがすべて (2015/8/16)

トルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品。
第67回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞しました。



世界遺産カッパドキアを舞台に、ホテルのオーナーで元舞台俳優の主人公、その美しい若妻、出戻りの妹、家賃を滞納する店子一家・・・
雪に閉ざされた世界で、彼らの愛憎と確執が果てしなく広がっていきます。

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カッパドキアの「オセロ」というホテルのオーナーである元舞台役者のアイドゥンは、遺産としてホテルやその他の不動産を受け継ぎ、妻のニハルや出戻りの妹ネジラとともに暮らしている。
ある日、使用人と街に出かけたアイドゥンらの車に、ある少年が石を投げつけ、あやうく事故を起こしかける。
少年は、家賃滞納のため法律によってテレビなどを差し押さえられた、アイドゥンが家主になっている住人の息子だった。
ところがその父親は、家賃を払えないと息子までも巻き込んでしまうのかと、ますます怒りをつのらせてしまう。
さらに、妹ネジラは無為の生活を送るアイドゥンに辛辣なコトバを投げかけ続けるし、妻ニハルはアイドゥンのことなど眼中になく慈善活動にのめり込むばかりだった。
そんな彼らの確執がやがて一気に爆発する。

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3時間を超える上映時間のほとんどが会話劇。
それも互いの弱点を暴き出すばかりの不毛な議論。
自分の弱点を責められまいと、相手がもっともグサリと来るポイントを的確に突きます。
下世話に云えば「それを云っちゃあおしまいよ!」というセリフを、これでもかと互いに相手に投げ掛けるのです。
正直、とてもしんどい映画でした。

しかし、そのくせそれぞれが互いに孤独で、それぞれに相手を必要としているのです。
何か素直じゃないなぁと、歯がゆくもなりました。
ロシア19世紀の小説などにおなじみの裕福な知識人階級が漂わせる、何となく不安で気の滅入るような、身の置きどころのないメランコリーに包まれた、ぜいたくな悩みを感じさせます。
監督はチェーホフの作品をモチーフにしたそうですが、チェーホフの静かな世界とは異なる濃密さを感じました。

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全体に退屈な作品ですが、妻ニハルが家賃を払えない店子に善意として大金を差し出すクライマックスシーンが緊張感にあふれ、迫ります。
差し出された店子イスマイルは、家が買えるようなその大金を暖炉に放り投げ、燃やしてしまうのです。
慈善とは安全な処から手を差し伸べることではなく、その同じところに身を寄り添わせることなのだ、と思い知らされます。

とても冗長で分かりにくい作品でしたが、ふとこんなことを感じました。
この世界で必要なことは、赦しを乞うこと、そして赦すことなのだと・・・
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-26 17:03 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

フォックスキャッチャー ~ 満たされぬ想いの果てに (2015/7/9)

1996年にデュポン財閥の御曹司がレスリングの五輪金メダリストを射殺した事件を取り上げた作品で、実話です。



富と名声と野望、そして孤独が渦巻く心の奥の暗い部分で交錯する大富豪と金メダリストのゆがんだ相互依存の葛藤が、圧倒的な迫力で描き出されます。
カンヌ国際映画賞など数々の賞に輝きました。

レスリングの五輪金メダリストでありながら、経済的に苦しく練習環境にも恵まれないマーク。
突然、大財閥の御曹司ジョン・デュポンから、ソウル・オリンピック金メダル獲得を目指したレスリングチーム「フォックスキャッチャー」に加入を誘われる。
心おきなくトレーニングに専念できるその申し出は、マークにとって願ってもない話だった。
やがて、それまでの名声や孤独にさいなまされた互いの虚しさを埋めるかのように惹かれ合うふたり・・・
しかし、デュポンの異常な性格とその病んだ言動が少しずつふたりの間に隙間をつくり始める。
そんな折、マークと同じ金メダリストである兄デイヴがチームに参加することになる。
はじめは参加を拒んでいたデイブだったが、家族とともに過ごせる条件を整え、参加を促すデュポンの強い要望に応えたのだった。
崇拝しながらも煩わしさを感じ始めていた兄の加入は、その影から抜け出すことを願い始めていたマークにとっては受け入れ難い出来事だった。
デュポンとの亀裂はますます深まる。
同時に少しずつデュポンの秘めた狂気が勢いを増し、やがて誰もが予測出来ない事態へと突き進んでいくことに・・・

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デュポンをスティーヴ・カレル、マークをチャニング・テイタム、そして兄ディヴをマーク・ラファロが演じるという布陣。
この3人の白熱した演技合戦がすべてと云って過言ではありません。

生まれながらに富と権力が約束された御曹司デュポン。
しかし、その実態は強権的な母親(演じているのは往年の名女優ヴァネッサ・レッドグレイヴ)に牛耳られた空虚な裸の王様でしかありません。
子供のころ、唯一の親友だと信じていた子にさえ、母親がお金を渡しているところを見てしまったと語るエピソードには、絶望的な孤独が感じられます。
それでも何とか母親に受け入れて欲しいと虚勢を張るその姿が憐れです。

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一方、国民的英雄とは名ばかりの貧しさに喘ぐ金メダリストの兄弟。
特に、兄を親代わりとしなければならない不遇な少年時代を過ごしたマークもまた、鬱屈した感情を持て余していました。
どこまで行っても満たされることのない欠落感を共有するデュポンとマークが惹かれあうのは当然と云えます。
しかし、片や大富豪、片や貧しいアスリートではその関係が次第に軋まざるを得ないのもまた当然・・・
そこに兄を巻き込んで、事態は悲劇の結末へと向かうほかなかったのです。

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度々捉えられる広大だけれど陽のあたらない殺伐とした豪邸のロングショットをはじめ、この映画に映る風景は何もかもがただ哀しく、そして云いようのない不安を掻き立てます。

その荒涼とした不気味さに、表向きは自由と平等を掲げるアメリカという国の隠された深い闇を見る思いがしました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-06-03 11:10 | 洋画 | Trackback(3) | Comments(0)

サンドラの週末 ~ 苦しみに育てられ (2015/7/1)

カンヌ国際映画祭受賞の常連、ベルギーのダルデンヌ兄弟による、労働問題を反映させた社会派ドラマ。
従業員のボーナス支給と引き換えに解雇を言い渡された女性が、自身の解雇撤回のため奔走する姿が描かれます。



体調不良のため休職していたサンドラが職場に復帰しようとした矢先の金曜日、ボーナスを支給するためには一人クビを切らなくてはならないと、解雇を告げられてしまう。
同僚が掛け合ってくれたおかげで、週明けの月曜日に職員たちが投票を行い、自分のボーナスをあきらめる者が過半数に達したら、解雇を回避できるという。
こうして同僚たちを訪ね、説得して回る、サンドラの長い週末が始まった。

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解雇撤回を求めて奮闘するヒロインとなればとても勇ましい感じがしますが、主人公サンドラはうつ病あがりですぐに心が崩れてしまう、とても弱い女性です。
メソメソしてばかりで、ことあるたびにクスリに手をのばし、チョッとしたことで落ち込むとすぐに寝込んでしまうありさま。
でも、マイホームを手にしたばかりで、ふたりの子供の母でもある彼女には、仕事を続けなければならない事情があります。
しかし、台所の苦しさは同僚たちだって同じ。
自分より苦しい仲間にボーナスをあきらめてくれと云うのはとても酷なことです。
仲間たちも彼女を何とかしてやりたいと思いつつも、背に腹は変えられず、つらい選択を迫られます。
そんな状況に何度も心がくじけ、自己嫌悪に陥ってしまうサンドラ。
その都度、夫や親友の叱咤激励でそれでも何とか前へ進もうとします。

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そんな彼女の訪問に思わず泣き出してしまう同僚も・・・
以前、彼女に仕事の上で助けられたのに、上司に脅されボーナスへと走った自分が許せなかったと、彼女への支持を約束します。
他にも少しずつ彼女を支持する仲間が現れ、わずかながら望みの光も差し込んで来ます。

この作品が、労働問題を告発するだけの社会派ドラマを越えて胸に迫るのは、サンドラの2日あまりの道のりが、我々の人生とも重なり合ってくるからです。
世の中の理不尽さに、折れた心を抱え、立ちすくんでは涙を流し、それでも周りの人たちに支えられ、何とか前を向いて踏ん張って来た、そんな多くの人たちの心を揺さぶるのだと思います。

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サンドラは苦しんだ分だけ得がたい自信も手にしました。
泣き虫のダメ女から、自分の足で更なる一歩を踏み出す女性に成長したのです。

おどおどした当初の表情から、何かをふっきったさわやかな表情へと変化する顔つき・・・
どこにでもいる普通の人間が脱皮していく姿を、アカデミー女優の華やかさを封印して、見事に演じ切ったマリオン・コティヤールの存在感が心に残ります。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-03-29 12:41 | 洋画 | Trackback(4) | Comments(0)