あん ~ 生きているだけで (2016/2/19)

「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭新人監督賞、「殯(もがり)の森」でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した河瀬直美監督が、樹木希林、永瀬正敏、内田伽羅などの役者陣と共に、ドリアン助川の同名小説を映画化した作品。
おいしい粒あんをつくる謎多き老女が、実は元ハンセン病患者だった・・・
それを契機に、それぞれの哀しみを抱えながら、それでも前を向いて生きたいと願う人々の姿が丁寧に描かれます。



ふとしたことから刑務所暮しを余儀なくされ、どら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごす男。
ある日、店で働きたいと懇願する老女が現れ、彼女のつくる粒あんの美味しさが評判となり、店は大繁盛する。
しかし、老女はかつてハンセン病患者だったという噂が流れ、客足が遠のいてしまう。
老女はおとなしく店を去るのだが、彼女のことが気にかかる店長は、老女と心を通わせていた近所の女子中学生といっしょに、彼女の暮らす元療養所を訪ねるのだった。

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「萌の朱雀」といい「殯(もがり)の森」といい、これまでの河瀨監督の作品は静かな佇まいと人々のリアルな描写で、とても質の高い作品であることには間違いないのだけれど、どこか見る人を選ぶようなわかりにくいところがあって、正直苦手でした。
しかしこの作品は、監督の持ち味を充分に活かしながらも、誰にでも受け入れやすい娯楽映画として成り立っていて、これまでの河瀨作品の中ではいちばんスンナリ入って行くことが出来たと思います。

河瀨作品らしく、とても静かな余韻を残す映画です。

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今回は名の知れたプロの俳優さんたちを起用しているのですが、それぞれの素人っぽいところをうまく引き出して、ドキュメンタリーのようなとても自然なタッチが印象的でした。

元ハンセン病患者の置かれた状況と、いわれのない差別が描かれるのですが、そのことを声高に訴えかけるようなことはしません。
それよりむしろ、自分にはどうすることも出来ない事情であっても、世の無理解や差別を受けることは往々にしてあって、それをどう乗り越えて行くのかがさりげなく問いかけられているように感じました。

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そしてその行き着く先は、生きているだけでその意味があると気づくこと。

  私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれて来たのです。
  だとすれば、何かを成しとげたり、何かになれなくても
  私たちにはそれだけで生きる意味があるのです。

人生をまるごと肯定した老女のこの言葉に胸が熱くなりました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-09-30 23:33 | 邦画 | Trackback | Comments(0)

最愛の子 ~ 相手の立場になって (2016/2/12)

年間20万人もの子供が行方不明になっているといわれる中国で、2008年に誘拐された男児が3年後に両親のもとに帰って来たという実際の事件を基にした映画。
背後に潜む「拡大する経済格差」や「一人っ子政策」など、現代中国が抱える問題に迫り、中国国内で公開されるや大ヒットを記録、社会に大きな反響を巻き起こしたと伝えられています。



中国、深圳の市街地で3歳になる男児が姿を消してしまう。
両親は警察に捜索を願いインターネットの情報を駆使して、必死に息子を探し出そうとする。
3年後、ついに中国北部の村で生活していた息子を見つけ出す。
だが、6歳になっていた彼は実の親のことを何ひとつ覚えておらず、共に暮らす最愛の母との別れを激しく拒むのだった。

映画の前半と後半で、視点が大きく変わります。

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舞台は2009年の中国・深圳、日本からも多くの企業が進出している大都会です。
離婚した夫婦の3歳になる一人息子が誘拐され、ふたりは息子の行方を必死に探します。
実は、このふたりが離婚しているという事実がいろいろと問題を引き起こすのですが・・・
それでも、ふたりはそれを乗り越えながら手をつくすものの、息子の行方の手がかりはようとしてつかめず。
しかし3年後やっと、遠く離れた中国北部・安徽省の貧しい農村で息子が見つかります。
そして、息子は実の両親の手に戻ることになりました。
ここまでは、息子を奪われた気の毒な両親の葛藤が物語の中心です。

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ところが、6歳になる息子は両親のことをまったく覚えていませんでした。
それどころか、育ててくれた女性を実の母親と慕い、引き離されることを激しく拒みます。
彼女は彼女で、夫がよその女との間にできた子供として連れ帰った男の子を、子供の産めない自分の実の息子として、大切に育てて来たのです。
すでに亡くなっていた夫も、不妊症の妻を気遣い誘拐したことを偽っていたのでした。
もう一度子供に逢いたいという切なる気持ちを抑えきれず、彼女は深圳へと向かいます。
そして、奪われた自分の子供を捜すべく思い切った行動に出るのでした。
後半は、この育ての親の視点から最愛の子への深い心情が描かれます。

前半の父親を演じるホアン・ボーが、持ち味のコミカルな演技を封印して、複雑な父親の心情を見事に演じ切れば、後半の育ての親を演じる人気女優ヴィッキー・チャオは、方言をマスターし、全編ノーメイクで貧しい田舎の女性を迫真の演技で体現します。

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たしかに実の両親は息子を誘拐された被害者です。
しかし、育ての母もここまで愛情を注いで来た息子を奪われた、ある意味被害者なのです。
たとえ誘拐犯の妻であったとしても・・・
どちらも子を思う親の愛に変わりはないのに、被害者が加害者になり、加害者がまた被害者となる。
人の世とは、見方が変われば善悪、正邪では割り切れない、そんな矛盾した両面を持っているのです。

劇中、誘拐犯の妻を支える弁護士が、役所の対応に異議を唱える彼女に対し、こう諭します。
 
 あの人たちは何もあなたを困らせようとしているのではない。
 ああせざるを得ないのだよ。
 そこはわかってあげないと・・・
 自分のことばかり嘆かずに、少しは相手の立場になって考えてみなさい。
 今の社会は、誰も彼もがそう出来ないから、もめ事が絶えないのだよ・・・

たとえ利害を損なうかも知れない相手であっても、それなりの立場があります。
自分たちだけが正しいと閉ざすのではなく、視点をそこに少しずらせて見れば、どこか同じ地平が見えて来るかも知れない・・・

ピーター・チャン監督がもっとも云いたかったのはそこではなかろうか?と感じました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-09-30 23:17 | 洋画 | Trackback(3) | Comments(0)

スターウォーズ/フォースの覚醒 ~ エピソード4のリメイク? (2016/1/8)

1977年に公開された人気シリーズ『スター・ウォーズ』・・・
2005年公開の「エピソード3」から10年ぶりとなる新たな3部作の第1弾。
オリジナル3部作の最終作「エピソード6」から30年後の世界を舞台にした物語。

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例によって、そんなに混み入ったストーリがあるワケではなく、お話は単純そのもの。
「エピソード6」で弱体化した銀河帝国軍の残党が、ファースト・オーダーという悪の軍事組織を復活させ、善良な人々で結成されたレジスタンスを苦境に立たせていた。
そこで、レジスタンスは起死回生を図って失踪中の伝説のジェダイ・ルーク・スカイウォーカーを探すが、ファースト・オーダーもまたそれを阻もうとして、熾烈な争いが展開することになる。

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前評判がとても高かったようですが、正直そんなに面白くなかった。
オリジナル第1作「エピソード4」のリメイクかと見まごうばかりです。
ドラマとしても見せ場としても「エピソード4」と何ら変わりなく、あのけったいな戦闘機の空中戦をやたら見せつけられただけ。
1999年から始まった、オリジナル3部作の前時代を描いた3作は、新しいVFXを駆使してそれなりに楽しめました。
そのシリーズからもう10年もたっているのに、そこから後退したような印象しか感じさせない本作は、まるでゲームセンターのゲームを見ているだけのようでした。



オリジナル3部作で活躍した面々も再び年老いて登場します。
けど、おそらくこの3部作でひとりずつ消えて行くのだろう、と暗示されたように思います。

熱狂的なファンほど期待してはいないけど、もうちょっとマシな作品を次作には望みたいものです・・・
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-09-30 23:08 | 洋画 | Trackback | Comments(0)

ダライ・ラマ14世 ~ 広い視野を持て (2025/10/2)

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王14世に6年間密着したドキュメンタリー・・・
1959年に中国の侵略と弾圧を受け、法王がチベットの民と逃れ亡命政府を置いたインドのダラムサラと、今もチベットの伝統と風習が生きるラダックにカメラが潜入しました。
脈々と受け継がれるチベット仏教の教え、その源であるダライ・ラマの存在、さらに平和な世界をめざし人々に寄り添おうと腐心する法王14世の姿勢が浮き彫りにされます。



法皇は、2008年3月中国チベット自治区で起きたチベット人による暴動や、同年8月の北京オリンピックの聖火リレー妨害のニュースが流れた際にも暴力を否定し、常に暴力からは何も生まれないと訴え続けています。

また、仏教的な教義については、法王の専門的な著作を何冊か読んだので、ここで語られる内容はそれに即した基本的なことと感じました。

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それよりも興味深かったのは、亡命の地ダラムサラに暮らす若者と日本の若者との対比です。
「勉強が好きか?」との質問に、ダラムサラの若者たちが全員「好き。自分の解らないことが明らかになるから・・・」と答えるのに、日本の若者はほとんどが「余り好きではない。しなければいけないから・・・」と答えます。
さらに「勉強する目的は?」の質問に、ダラムサラは一様に「チベットの社会に何らかの役に立ちたいから・・・」と答えますが、日本は「いい学校に入って有利な就職をするため。そうでないと老後も不安・・・」と答えるのです。

将来の理想の社会の姿から振り返って、今自分がどうあるべきか?と考えるダラムサラ・・・
将来の社会には不安しかないから、とにかく今を享受するだけ!と位置づける日本・・・
この差は大きいし、この国の先行きはそれこそ危うい、と感じました。

少し前、自己責任論について議論したことがあるのですが「自己責任にすべて帰着するのは格差を広げるだけで危険、同時に補てん機能としての社会的枠組みが必要だ」とするアンクルに対し「自分が努力した結果だからそれがまず尊重されるべき」という反論でした。
結局、議論は平行線をたどったのですが、その時に、あぁこの人たちには自分という視点しかないのだな、と感じたことがあります。
自分の努力が評価されるべきというのは間違ってはいないのですが、もし何らかの理由でそうは出来なかったら?という立場や角度からも見ようとする視点が抜け落ちているのです。

このときの経験や先の日本の若者の話から伝わってくるのは・・・
昨今のこの国に生きる多くの人々の視野がきわめて狭いということです。
この視野の狭さが、この国に広がる閉そく感や、社会が右傾化に走る要因だと思います。

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映画の中で、法王も今の日本の状況を同様に捉えていて、日本人には英語を覚え世界に出てもっと視野を広げることが大切、と指摘していました。

これに限らず、ダライ・ラマ法皇がこの映画の中で繰り返し「視野を広げ、多角的に考えなさい!」と訴えていたのがとても印象に残りました。

アンクルは、仏の教えとは要約すれば「足るを知る」ことと「己を忘れて他を利する」ことに尽きると考えています。
それはつまり、自分にのみとらわれず、幅広い地点に立って視ることにほかならないと、ダライ・ラマ法皇に教えられた気がしました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-29 00:04 | ドキュメンタリー | Trackback | Comments(0)

さよなら、人類 ~ 可笑しくてやがて哀しき (2015/9/20)

ユニークなスタイルで有名なスウェーデンの奇才ロイ・アンダーソン監督が、第71回ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した作品です。



シュールでかつブラックな笑いに満ちた39の挿話・・・
とはいえ、それぞれのお話しに脈絡はありません。
それでも、構図、配置、配色、美術など作品の細部にまでこだわり完成に4年を費やしたとか・・・
まるでくすんだ絵画のひとつひとつが動き出したような印象を受ける作品です。

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面白グッズを販売しているサエない2人組のセールスマン、サムとヨナタン・・・
彼らが一応主役らしいのですが、彼らを中心にストーリーが展開するワケでもありません。
彼らが行く先々で遭遇する一風変わった人々の、どうあがいてもうまくいかない、悲喜こもごもの人生が次から次へと綴られます。

例えば・・・
フェリーの食堂で、お金を払って注文した食べ物に手もつけずに死んでしまった男の、その食べ物を誰か要りませんか?と死体を横目に他の客に呼びかけるウエイトレスに、ひと呼吸おいておずおずと手を挙げる男とか・・・
天国まで持っていくと宝石入りのバッグを手放さない亡くなる直前の老女とか・・・
何でもない市井の人たちの日常のひとコマが、どこか滑稽で切ない情景として浮かび上がります。
そして、そこに「元気そうで何より」って云うセリフがたびたび被さるのが、シニカルで皮肉っぽい。

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そうかと思うと、現代のバーに不意にスウェーデン国王率いる18世紀の騎馬軍が立ち現れたり・・・
どこかの兵士たちがアフリカの奴隷を巨大なローラーに放り込んで火にあぶり、その阿鼻叫喚ぶりを鑑賞する人たちの表情が捉えられたりとか・・・
ありえないし、チョッと背筋が凍ったりするエピソードが挟まれていたりもします。

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とにかく不思議な感覚の映画です。
オムニバスというよりもまったく関係ない39のコントが集められていると云った方が正確かも・・・
それでいて全体にどこかつながっている演出が心憎い。
(先の話に出ていた人物が次のシークエンスで画面の端にチョロッと映ってたりします。 上のシーンのふたりが下のシーンの右端にチラッと・・・ちなみにこのふたつのシークエンスはまったく関係ない話です・・・)

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全体に白く埃っぽい画面で、登場人物たちも同じように白く生気のない顔をしています。
奥行きが強調された背景と相まって、どこかリアルさに欠けています。
しかも、どの話もよく考えればシリアスなのになぜか可笑しいのです。
それは、登場人物の会話や動きが、どこかワンテンポずらされているからです。
その間合いがとても面白いと思いました。
このとぼけてどこか人を喰った『間』がこの作品の真髄だと思います。

そして、そこに可笑しいけどやがて哀しい、人間のホントの姿が凝縮されているように感じました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-28 23:52 | 洋画 | Trackback(3) | Comments(0)

セッション ~ 狂気の末の高みとは? (2015/9/12)

名門音楽学校に入学したドラマー志望の青年とスパルタ的指導で恐れられる伝説の教師が繰り広げる狂気のレッスンとそのゆくえが描かれます。
アカデミー助演男優賞ほか3部門をはじめ数々の賞に輝いた作品。



名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになりたいと決意したニーマン。
何とかして有名なフレッチャー教授の目に留まりたいと考えていた。
彼が指揮する“スタジオ・バンド”に所属すれば、成功は約束されたも同然との評判だったからだ。
そして、何とかフレッチャーの指導を受けられることになったニーマンだったが・・・
ひたすら罵声を浴びせ、生徒たちを恐怖で支配しながら、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さないフレッチャーの指導。
その指導に必死に食らいついて行くニーマンだったが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気を帯び、ニーマン自身も次第に正気を失っていく。
常にもっと上をめざすフレッチャーの狂気はさらに加速、ニーマンはギリギリのところまで追い詰められてしまう・・・

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最初から最後までとても引き締まった印象の映画です。
宣伝コピーが自画自賛する「ラスト10分間の衝撃」まで飽きさせることなくひたすら走り続ける感じです。
確かに名作と呼ばれるにふさわしい作品です。
とにかくハンパな期待は次から次へと裏切られ続けます。
そして、衝撃的というのとは少し違うけれど、それでも常識的には考えもしなかった結末に至ります。
終始、裏切り続けられる緊張で欲求不満になりかけていたこちらの心理に、思いがけないカタルシスをもたらす幕切れです。
なんとも不思議な余韻が残りました。

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ジャズドラマーの話だけど、単なる音楽映画とは違います。
鬼教師と生徒との根性ドラマなんて生やさしいものでもありません。
ここで描かれるのは、才能とか情熱とか、そんなありきたりの話を超えてしまった「狂気」です。
そういう意味では現実にはありえない、ある種のファンタジーなのかも知れません。

それにしても、アンクルはこんな風にして超人的に得られた技術に支えられる音楽なんて欲しくもないですね。
ワタシが好きなのは、原始的で心のままに湧き出る感情にのみ支えられた音楽です。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-28 23:33 | 洋画 | Trackback(2) | Comments(0)

アリスのままで ~ すべてを失くしても (2015/9/5)

若年性アルツハイマーと診断された50歳の言語学者が苦悩し葛藤する姿を、彼女のまわりの家族とのつながりに絡めて描かれた作品。
ヒロイン・アリスを演じたジュリアン・ムーアが熱演、アカデミー賞オスカーを手にしました。



ニューヨークの大学で教鞭をとる50歳の言語学者アリスは、講義中に言葉が思い出せなくなったり、ジョギング中に自宅までの道がわからなくなったり、といった異変に気づく。
それは若年性アルツハイマーの症状と診断され、家族のあたたかい支えもむなしく、日ごとに記憶や知識が薄れていく。
そんなある日、ふとしたことから記憶が薄れる前に自らがパソコンに残したビデオメッセージを見つける。
そこには記憶を失うアリスに、自分が自分でいられるように、まだまともだった彼女の誘いかけが録画されていた。
アリスは食い入るようにそれを見つめ、そして画面の中の自分が語ることを実行しようとするのだが・・・

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アルツハイマーを患い次第に症状が進む恐怖と家族のとまどいが、アリス本人の視点で描かれるのが新鮮です。
ジョギング中に道に迷ってしまい、その見慣れたはずの情景がゆがんで現れる場面など、自分もそんな状況に陥ったかのような錯覚におそわれます。
世界がこんな風に変わって行くのかという実感は、実際にアルツハイマー型認知症の母を毎日見ているアンクルには、とてもリアルに迫って来ました。
さらに、この病気は遺伝性が確実とも・・・
ということは、アンクルにもその可能性が十二分にあるのだ、とあらためて思い知らされました。

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輝かしい学歴や職歴、誇らしい肩書、そして得た社会的地位・・・
それらが徐々にガラガラと崩れ落ちていく、その予見にアリスは恐れおののきます。
それゆえビデオレターを残し、もはやタダ以下に成り下がった自分を抹殺しようとさえするのです。
しかし症状が進行すれば、本人にとってはそんなことなどもうどうでもよくなります。
すべてがなくなっても、そこには本来の彼女が「アリスのままで」残っているのです。
云いかえれば、経歴や肩書、ましてや社会的地位など、そんなものは究極の個人にとって何の意味もないのでは?・・・
そんな風に感じました。
突き詰めれば、基本的にヒトは弱々しく、ただハダカで立ちすくんでいる存在にすぎないのです。

アンクルはおのれのライフスタイルとして、経歴や肩書や社会的地位などには目もくれず、ただハダカの自分をさらけ出して生きたい、と願い続けてきました。
現実には不可能に近いことかもしれないけれど、そう心がけたいと思うのです。

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自我が崩壊して行くアリスとの関係と、自分の生き方とを天秤にかけざるを得ない家族たち・・・
そんな中で、常にアリスに反目し合っていた末娘が、彼女を最後までサポートしようと決断します。
あたかもリア王とコーディリアの関係を思わせるようです。

ジュリアン・ムーアの演技がさすがです。
「めぐりあう時間たち」のローラ・ブラウンにも感嘆しましたが、この作品でも自分からのメッセージに見入るシーンなど迫真の演技を見せます。

そして、反抗していた母を最期まで看取る覚悟を決める、末娘のクリステン・スチュワートの演技も心に残りました。
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-26 17:20 | 洋画 | Trackback | Comments(0)

ジュラシック・ワールド ~ 懲りない世界 (2015/8/27)

スピルバーグのおなじみ『ジュラシック』シリーズ第4弾。
恐竜の巨大テーマパークで、遺伝子操作によって生み出された新種の恐竜が脱走、人間や恐竜を襲うようすが描かれます。



世界的な恐竜のテーマパーク『ジュラシック・ワールド』・・・
ジャイロスフィアという球体の乗り物でめぐる恐竜見学や、水生恐竜モササウルスの水中ショーなどで人気を博していた。
さらなる人気を得たい責任者のクレアは、恐竜の飼育係オーウェンの警告にもかかわらず、遺伝子操作により凶暴で高い知性をもった新種の恐竜インドミナス・レックスをつくり出す。
しかし、あろうことかそのインドミナス・レックスが逃亡し、ジャングルの奥深くへと姿を消してしまう。
そいつは想像以上に知能も発達していることが明らかになり、それが解き放たれたとなれば、恐竜も人間もパーク内の生き物すべてが危険にさらされる最悪の事態に向かうのは火を見るより明らかだった。

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子供のころからこういう類いの怪獣映画が大好きで・・・
今もキングコングやゴジラなどにワクワクします。
もちろん、このジュラシックシリーズも第1作から欠かさず見たのは当然のこと。

ザーッとあらすじを見ただけでわかるように、ストーリー展開は第1作のジュラシックパークとよく似ています。
ただ、第1作のあの新鮮な驚きと感動はあまり感じることが出来ませんでした。
VFX技術があまりにありふれて、もはや慣れきってしまっているせいかも知れませんが、やはり第1作のあの完成度にはかなわないというのが、まず感じたところです。

第1作にも流れてた「生命倫理や生命の進化史」に対する哲学的な基調はこの作品にも感じられました。
しかし、それ以上に感じられたのが資本主義の論理と倫理に関する視点でした。
運営されるテーマパークも一事業である以上、観客のニーズに常に応えるべき進展とそれにかかるコストが、何にもまして優先されます。
そのため、環境や安全への配慮などは利益に貢献しないと後まわしにされてしまいます。
そんな設定がきわめて現代的なテーマだと感じました。
さらに、何度も危険な状況に陥ったのに、目先にとらわれ性懲りもなく、手に負えない怪物を次々と生み出すところなど、あれだけの災禍にも関わらず、またぞろ危険なモノを再稼働させようとする、どこぞのアホな国への警告ではなかろうか?とも思いました。

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それにつけても、ヒロインのクレアがあまりにセクシーすぎるのが気になりました。
この緊迫した場面でお色気ムンムンさせてどないするねん!って何度もツッコんでしまいました。

年寄りのひがみと云えばそれまでかもしれないけど・・・
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インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by anculucinema | 2016-08-26 17:11 | 洋画 | Trackback | Comments(0)