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ポーランド映画の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督の最新作。
“尼僧ヨアンナ”の原作者イヴァシュキェヴィチによる短篇小説「菖蒲」の映画化です。 ドラマ自体はきわめてシンプル・・・ 小さな町医者の妻マルタは不治の病に侵され、この夏を越すことさえ難しい状況。 しかし、彼女は自分の病気を知らされぬまま、ふと同じ街に住む若い青年ボグシと知り合い親しくなる。 ある日、ふたりでいっしょに聖霊降臨祭の飾りに使う菖蒲を取ろうと川へ向かう。 ところが、そこで菖蒲を取りに川に入ったボグシが突然溺れ沈んで死んでしまう・・・ 大まかなあらすじとしてはこれだけです。 映画の構成がユニークです。 実はマルタを演じる主演女優のクリスティナ・ヤンダの夫であり、そしてワイダの盟友でもあった撮影監督がクランクインした時すでに末期ガンが見つかって、余命いくばくもない状態でした。 なので、撮影はこの夫婦の都合に合わせ、時期やロケ地を変更して始められました。 ところが、制作途中で夫の病状は悪化し、ついに帰らぬ人になってしまいます。 彼の死を契機にワイダ監督は演出方針を変え、本来のドラマの途中に、クリスティナが夫の死という実体験について語るモノローグと、それらを撮影しているメイキング映像を挟み込むことにします。 人間の生と死の真実を、虚構と現実を一体化させ浮かび上がらせようと試みたのです。 マルタが川で溺れかかったボグシを助けようと川に潜るラストシーンの撮影中、突然クリスティナがロケ現場を抜け出して逃走します。 監督もスタッフも大慌てですが、走ってロケ現場を後にしたクリスティナがタクシーに乗るところまでカメラに収められていました。 彼女は死にゆく若い青年の姿を見た瞬間、夫の最期がフラッシュバックしていたたまれなくなってしまったのです。 映画という虚構であっても、日常という現実であっても、そこに存在したふたつの人生は“死”という共通項で密接に結びついていました。 夫の死によって去来した思いを語るクリスティナの独白のシーンは、さながらアメリカの画家エドワード・ホッパーの絵を思わせます。 そこに漂う寂寞とした孤独感や喪失感は、ドラマの中でマルタの夫が口にする、「生はいつでも容易に死に変わるものだ」というコトバに集約されているように思いました。 また、川辺に設けられた野外のカフェが人々で賑わっている場面・・・ 死期が間近まで迫っているマルタと、若い生命力に溢れたボグシがそこで始めて出会います。 夏の始まりを予感させる華やぎに満ちた場であるはずなのに、どこかうら悲しい雰囲気が漂います。 ふたりの生と死のすれ違いが暗示されるからです。 そこには、人間の抱える残酷な不条理さが垣間見え、それゆえ哀しさがつきまとうのです。 アンクルもこの歳になれば、死んでもおかしくはない出来事をいくつか経験しました。 なので、今この瞬間に死に至っても不思議はない、という感覚が心のどこかにあります。 <生きることはいつも死と隣り合わせ・・・> それをそのまま、リアルにそして素直に受け入れることが出来るように思えます。
by anculucinema
| 2015-04-06 16:14
| 外国画
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