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チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王14世に6年間密着したドキュメンタリー・・・
1959年に中国の侵略と弾圧を受け、法王がチベットの民と逃れ亡命政府を置いたインドのダラムサラと、今もチベットの伝統と風習が生きるラダックにカメラが潜入しました。 脈々と受け継がれるチベット仏教の教え、その源であるダライ・ラマの存在、さらに平和な世界をめざし人々に寄り添おうと腐心する法王14世の姿勢が浮き彫りにされます。 法皇は、2008年3月中国チベット自治区で起きたチベット人による暴動や、同年8月の北京オリンピックの聖火リレー妨害のニュースが流れた際にも暴力を否定し、常に暴力からは何も生まれないと訴え続けています。 また、仏教的な教義については、法王の専門的な著作を何冊か読んだので、ここで語られる内容はそれに即した基本的なことと感じました。 それよりも興味深かったのは、亡命の地ダラムサラに暮らす若者と日本の若者との対比です。 「勉強が好きか?」との質問に、ダラムサラの若者たちが全員「好き。自分の解らないことが明らかになるから・・・」と答えるのに、日本の若者はほとんどが「余り好きではない。しなければいけないから・・・」と答えます。 さらに「勉強する目的は?」の質問に、ダラムサラは一様に「チベットの社会に何らかの役に立ちたいから・・・」と答えますが、日本は「いい学校に入って有利な就職をするため。そうでないと老後も不安・・・」と答えるのです。 将来の理想の社会の姿から振り返って、今自分がどうあるべきか?と考えるダラムサラ・・・ 将来の社会には不安しかないから、とにかく今を享受するだけ!と位置づける日本・・・ この差は大きいし、この国の先行きはそれこそ危うい、と感じました。 少し前、自己責任論について議論したことがあるのですが「自己責任にすべて帰着するのは格差を広げるだけで危険、同時に補てん機能としての社会的枠組みが必要だ」とするアンクルに対し「自分が努力した結果だからそれがまず尊重されるべき」という反論でした。 結局、議論は平行線をたどったのですが、その時に、あぁこの人たちには自分という視点しかないのだな、と感じたことがあります。 自分の努力が評価されるべきというのは間違ってはいないのですが、もし何らかの理由でそうは出来なかったら?という立場や角度からも見ようとする視点が抜け落ちているのです。 このときの経験や先の日本の若者の話から伝わってくるのは・・・ 昨今のこの国に生きる多くの人々の視野がきわめて狭いということです。 この視野の狭さが、この国に広がる閉そく感や、社会が右傾化に走る要因だと思います。 映画の中で、法王も今の日本の状況を同様に捉えていて、日本人には英語を覚え世界に出てもっと視野を広げることが大切、と指摘していました。 これに限らず、ダライ・ラマ法皇がこの映画の中で繰り返し「視野を広げ、多角的に考えなさい!」と訴えていたのがとても印象に残りました。 アンクルは、仏の教えとは要約すれば「足るを知る」ことと「己を忘れて他を利する」ことに尽きると考えています。 それはつまり、自分にのみとらわれず、幅広い地点に立って視ることにほかならないと、ダライ・ラマ法皇に教えられた気がしました。
by anculucinema
| 2016-08-29 00:04
| ドキュメンタリー
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