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現代によみがえった恐竜たちをリアルにそしてスリリングに描いた大ヒット作「ジュラシック・パーク」シリーズの最終章です。
ジュラシック・ワールドの島「イスラ・ヌブラル」が噴火で壊滅、救出された恐竜たちが世界中に散らばって4年。 人類はいまだ恐竜との共存の道を見い出せずにいました。 恐竜の保護活動を続けるオーウェンとクレアは、ジュラシック・パーク創設に協力したロックウッドの亡き娘から作られたクローンの少女メイジーを守りながら、人里離れた山小屋で暮らしていました。 ある日、オーウェンは子どもをつれた恐竜ブルーと再会しますが、その子どもが何者かによって誘拐されてしまい、オーウェンはクレアとともに救出に向かいます。 一方、ある目的で恐竜の研究をしている巨大バイオテクノロジー企業バイオシンを調べていたサトラー博士のもとにグラント博士が駆け付け、さらにふたりはマルコム博士にも協力を求めます。 琥珀の中のDNAからジュラ紀の恐竜を蘇らせる、という今までにはなかった遺伝子時代の到来を告げる発想。 それを具現化する、CGを駆使したこれまで見たこともないリアルな映像の実現。 まったく新しい映像表現としてスピルバーグが世に問うた、1993年製作の「ジュラシック・パーク」は観客の度肝を抜く仕掛けで大ヒット作となりました。 巨大生物モノには目がない筆者も、たちまちその虜になったことは言うまでもありません。 その後、続編に続編を重ね、同じ主人公たちの「ジュラシック・パーク」シリーズ3作、主人公が替わって「ジュラシック・ワールド」が2作と製作されて来ましたが、今回はその集大成としての最終作になるようです。 なので「ジュラシック・ワールド」の主役たちを中心に「ジュラシック・パーク」の主役たちも加えて、シリーズのまとめを図った作品となりました。 ストーリー展開としてはもう大体同じパターンを繰り返し、それをいかにエスカレートさせて前作を凌げるかのイタチごっこに陥ってしまっていたので、これ以上膨らませることはもう限界に来たのかな?と思わされました。 当初はビックリしたリアルな恐竜たちも、今となってはありふれたものになってしまったし・・・ この辺りが打ち止め時かもというのはやむを得ないかも知れません。 今回もひと儲け企む連中によって恐竜が世に放たれ、それを収めようと試みる主人公たちの活躍に焦点が当たる展開なのですが、ワクワク感がさほど沸いて来ませんでした。 かつてのキングコングやゴジラは、それが街頭に現れただけで何か心踊る感覚におそわれたものですが・・・ あの高揚感が感じられなくなったのはなぜなんだろうと、ふと考えてしまいました。 #
by anculucinema
| 2023-06-02 16:52
| 外国画
「キング・オブ・ロックンロール」と称されるエルヴィス・プレスリー。
スターとして人気絶頂のさなかにありながら若くしての死を余儀なくされたプレスリーの物語が、誰もが一度は耳にしたことのある名曲の数々にのせて描かれます。 ザ・ビートルズなど多くのロック・アーティストたちに影響を与え「世界で最も売れたソロアーティスト」としてギネス認定もされているエルヴィス・プレスリー。 腰を小刻みに揺らし、つま先立ちする独特でセクシーなダンスを交えたパフォーマンスに、女性を中心とした若者たちは興奮し、小さなライブハウスから始まった熱狂はたちまち全米に広がっていきました。 しかしその一方で、保守的な価値観しか受け入れられなかった時代に、黒人のカルチャーを取り入れたパフォーマンスは世間から大きなパッシングを浴びてしまいます。 強欲なマネージャーのトム・パーカー大佐により、本来の自分のスタイルを捨て、白人に迎合するように仕向けられるのですが、それでも自分の心に素直に従ったエルヴィスのライブはさらなる熱狂を生み、語り継がれることになるのですが・・・ エルヴィスが登場して一大ブームを巻き起こしたころ、ボクはまだ小学生だったと思います。それでもその大騒ぎは何となく記憶に残っています。 もの心ついたころには彼はもうすでに大スターで、ラスベガスのクラブなどでとても高価なショーをやっていました。やたら襟の高い派手な衣装なんか着て、何となく成り上がりっぽくてダサいなと正直思っていました。 彼の出演していた映画も、ひと昔前の甘ったるい青春映画って風情で、あまり見たいとは思わなかったです。 音楽史として客観的に見れば、黒人に人気のあったリズム&ブルースの一形態だったロック&ロールと、白人の好んだカントリー音楽ヒルビリーを融合して、ロカビリーという新しいジャンルを生み出した、エルヴィスが先駆者ということになるのでしょう。 もともと黒人音楽の一部でしかなかったロックン・ロールミュージックを、白人のみならず、世界中の人たちに知らしめるきっかけになった功績は大きい。 音楽史に足跡を残す巨人だったと云っても過言ではないと思います。 しかしそんなことは後になって認められたことで、当時は保守的な白人の大人たちに眉をひそめられる存在だったのです。 アメリカで大人気の権威のあった音楽ショー「エド・サリヴァン・ショー」に出演した時も、腰から下は写さないよう徹底されたことは今も語り草になっているほどです。 マネージャーのトム・パーカー大佐についても何となくうわさでは知っていたけれど、こんな風にエルヴィスと絡んでいたとは初めて知りました。 大スターには辣腕マネージャーの影あり、というのはその通りだと思うけど、こんな風にお金、お金ばかりで切っても切れない縁になっていたことを知ると、エルヴィスの哀れさが際立ちます。 彼の全盛時のころ、伝えられるニュースなど見ていたら、派手な生活の陰にどこかうら寂しい何かがあるのをそれとなく感じたものですが、こんなことがあったのかと納得できる感じでした。 彼の後に続いたザ・ビートルズや他の多くのロックミュージシャンたちが、それまでになかった自分たち独自のスタイルを築いていくのに対して、エルヴィスはそれまでの大御所スターたちと同じような古びたエンターティナーとしての道を歩みます。 それが「ダサさ」を感じさせたところであるし、それもまたトム・パーカー大佐のマネージングだったとしたら、そこがエルヴィスの乗り越えられなかった限界だったのかなという気がしました。 #
by anculucinema
| 2023-06-02 16:39
| 外国画
司馬遼太郎の長編小説「峠」を映画化した時代劇。
越後長岡藩の筆頭家老である主人公が、妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願いながら激動の時代を生き抜いた姿を『雨あがる』『蜩ノ記(ひぐらしのき)』などの小泉堯史監督がメガホンを取った作品です。 徳川慶喜の大政奉還によって260年余り続いた江戸幕府が終焉を迎え、諸藩は東軍(旧幕府軍)と西軍(新政府軍)に分裂、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争へとなだれ込みます。 そんな動乱の時代に、越後長岡藩牧野家家臣・河井継之助は民の暮らしを守るために戦争を避けようと、幕府側、新政府軍側のどちらにも属することなく中立を貫こうと奔走します。 そして和平を願って臨んだ新政府軍との談判。 白か黒かしか認めない新政府側との交渉は最後までかみ合わずついに決裂。 継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、新政府軍と砲火を交えるという決断を下します。 とてもしっかりと落ち着いた作品です。 さすが黒澤明の弟子、小泉堯史だと思わせる正攻法の時代劇でした。 ただ昨今のアクロバティックな時代劇を求める向きにはあまり評判はよろしくなかったようです。 原作を読んでないので何とも云えないのですが、司馬遼太郎の長編をこのサイズに収めるには多少無理があったのではと感じさせられました。 そのあたりが少し物足りなさを感じさせるところで、残念な評判に終わった理由のひとつなのかなと思います。 無名ではあるけれど、主人公の河合継之助のような見識を持って先を見ていた人々は、特に賊軍とされた会津や東北諸藩にもきっと大勢いたのではと思わされました。 一般に薩摩・長州中心の新政府が旧時代を終わらせた立役者のように捉えられていますが、維新とは「革新」などではなくその本質は「復古」であって、薩長が目指したのは300年前の「関ケ原」に遡って徳川を倒し、それを排除して権力を奪取することでしかなかったと思います。 もちろん維新と共に近代化が進められたのもまた事実ですが、それは先に近代化を成し遂げた列強が帝国主義化を進めていたからであって、それに対抗するため必然的にもたらされた結果に過ぎないと思います。 すでに徳川幕府の時代にもうそのような近代化は始まっていたし、そのため各藩の優秀な人材が急遽その準備を進めていたはずで、その証拠が河合継之助のようにそのことに熟知していた人々の存在であったと思われます。 土佐藩などが主張したように旧幕府方も含めて新政府を構成していれば、これらの優れた幕臣たちもその力を大いに発揮し、オールジャパンとしてもっと幅広い近代化を成し遂げられたのかも知れません。 しかし徳川に対して300年前の雪辱を果たすことにのみ執念を燃やす薩長にそれを許す余裕などなかった。 薩長のその度量の小さかったことが、劇中クライマックスのいわゆる「小千谷談判」の場面に垣間見えた気がしました。 #
by anculucinema
| 2023-06-02 16:32
| 邦画
1966年7月からのテレビ放送開始以来親しまれて来た特撮ヒーロー「ウルトラマン」を『シン・ゴジラ』などの庵野秀明が企画・脚本、樋口真嗣が監督を務め、その世界観を現代社会に置き換えて再構築した作品です。 謎の巨大生物が現れ危機に直面した現代の日本を舞台に、未知の存在であるウルトラマンが出現した世界が描かれます。 謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ)」が次々と現れ、その存在が当たり前の日常になった日本。 通常兵器が全く通用せず事態が長期化する中、政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立、そのメンバーが日々任務にあたっていました。 そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。 巨人対策のため禍特対には新たに分析官・浅見弘子が配属され、作戦立案担当官・神永新二とバディを組むことになりました。 と、あらすじを見ただけでお判りいただけると思いますが・・・ 何やらものものしい雰囲気。 「シン・ゴジラ」もそうでしたが、怪獣出現という非日常の状況に対する国家権力の危機対応の様相が克明に描かれます。 怪獣出現が何やら国家危機の象徴としてデフォルメされているように感じました。 やたら難解な専門用語が飛び交うオタッキーな庵野ワールドには毎度ながらいささか辟易とさせられますが・・・ ストーリーにはさほど影響がないのがご愛嬌ではあります。 1966年1月に始まった円谷プロ制作のテレビシリーズ「ウルトラQ」・・・ 怪異譚いわゆる「世にも奇妙な物語」を得意の特撮技術を駆使して一話完結でまとめたシリーズでした。 毎回ひねりの効いた不思議なお話が展開され面白かった。 怪談の大好きな筆者を充分に楽しませてくれる、大人の番組でした。 ところがいつの間にか怪獣出現が中心に移行し始めます。 はじめのうちはそれでも風変りな怪獣が登場して来る不思議な物語として止まっていたのが、怪獣が人々を脅かす、東宝映画が得意とした怪獣シリーズの様相を呈して来ます。 そして人々を助け、そんな悪い怪獣に立ち向かうヒーローのような存在が必然的に現れて・・・ そこから始まったのが「ウルトラマン」シリーズだったと記憶しています。 いつしかウルトラマンは子どもたちのヒーローとなり、シリーズも子ども向けの人気番組へと姿を変えていきました。 筆者はそのあたりで熱心に見ることから離れて行ったように思います。 今作品はそんなウルトラマンを大人の鑑賞向けに再編しようとする試みであったのかも知れません。 事実、とても子供が楽しめるような雰囲気ではありませんでした。 かつてウルトラマンに熱狂し、今は大人となった子どもたちへの贈り物だったのでしょうか。 とは云え、オリジナリティに富んだ抜群のアングルからのショットが多用され、今まで見たことのないウルトラマン像であったことは確かです。 そういう意味ではけっこう面白い作品でしたが、当然のことながら荒唐無稽なお話であることに変わりはなく・・・ それ以上でも以下でもない作品だった、と云うしかないと思います。 大人向けに求められる最低限のリアリティには届くことなく、中途半端な印象だけを残した感じです。 話題性だけは充分あったと思いますが・・・ #
by anculucinema
| 2023-06-02 16:25
| 邦画
スティーブン・スピルバーグが、1961年に映画化された名作ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド物語」をリメイクした話題の作品です。
1950年代のニューヨーク。 マンハッタンのウエスト・サイドには、夢や成功を求めて世界中から多くの移民が集まっていました。 しかし移民への差別、貧困に直面した若者たちは同胞の仲間と結束し集団をつくり、それぞれのグループは対立し合うようになります。 特にポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」は激しく敵対し合っていました。 そんな中、ジェッツの元リーダーであったトニーは、シャークスのリーダーの妹マリアと運命的な恋に落ちてしまいます。 ふたりの禁断の愛は、否応なく周りの人々の運命を変えていくことになってしまいます。 おなじみ「ロミオとジュリエット」のお話を、ウエスト・サイドの移民の若者たちに置き換えたミュージカル映画です。 1961年に公開された前作は、ニューヨークの街中にカメラを持ち込み、これまで見たこともない歌と踊りを斬新な演出で繰り広げ、観る者を圧倒した革新的な作品でした。 当時まだブロードウェイもミュージカルもよく知らなかったこの国では一大ブームとなりました。 当時のタレントさんたちが、まるで判で押したように「ミュージカルを演りたい」と口を揃えていたことを思い出します。 高校生になって初めてのガールフレンドがこの「ウエスト・サイド物語」に心酔していて、いかに素晴らしいかを説いてくれるのを「ふ~ん」という思いで聞いていたことも、今は昔の話です。 今回の作品も前作を踏襲してしっかりと組み立てられている感じは伝わって来ました。 しかし前作を超えたかと問われると、残念ながらそれ以上でも以下でもない印象です。 前作のあの圧倒的な迫力に負けてはいなかったけれど、残念ながらそれを凌ぐことは出来なかったと云わざるを得ません。 かえって前作の存在感の大きさをあらためて際立たせる結果に終わってしまった、というのが正直な感想です。 ただ、前作では表立っては出て来なかった移民たちの置かれた格差の状況をしっかり描き込んでいたのはとてもタイムリーだし、社会的な視点を作品にしたたかに潜り込ませるところはさすがスピルバーグと唸らされました。 今作では俳優もそれぞれ北欧系とプエルトリコ系を採用してリアリティを持たせようとしたようですが、そのリアリテイが逆に作品を矮小化してしまったように感じたのは筆者だけでしょうか。 スピルバーグ初のミュージカル映画と銘打って、鳴り物入りでスタートした今作ですが、いつの間にか消え入るように終わってしまったのが、その辺りを物語っていたのかなと思います。 #
by anculucinema
| 2022-09-29 12:33
| 外国画
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