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2021年秋の衆議院議員総選挙で注目を集めた選挙区「香川1区」に焦点を当てたドキュメンタリー。
衆議院議員 小川淳也の初出馬からの17年間を追った映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」。 その続編的位置付けの作品として、大島新監督が再び「香川1区」の選挙戦を与野党両陣営、双方の有権者の視点から捉えます。 2003年の初出馬から1勝5敗と敗け続け、比例復活当選を繰り返してきた小川淳也議員。 香川1区で彼の前に立ちはだかって来たのが、自民党の平井卓也議員。 四国新聞と西日本放送のオーナー一族で3世議員の平井卓也議員は、前回の総選挙で小川議員に辛くも勝利。 その後、小川淳也議員は統計不正についての国会質疑で注目され、その知名度は一気に全国に広がります。 2020年に菅政権が誕生すると、平井卓也議員はデジタル改革担当大臣に抜擢。 保守地盤である香川の有権者にとって「大臣」の肩書は絶大。 これで小川淳也議員の立場はますます不利になると誰もが考えましたが・・・ ところが平井卓也議員は不適切発言などで思わぬ失態を演じ、メディアから叩かれることに・・・ さらにはそこへ日本維新の会の候補が殴り込みをかけ、三つ巴の激しい闘いの火ぶたが切って落とされたのです。 前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」はいかに高い政治的理念を掲げても、それは決して現実の政治には結びつかないことを思い知らされるドキュメンタリーでした。 理念より、従来通りのしがらみや利権そして慣習が最優先される構造こそ、この国の政治風土であり、そして何よりもこの国の民度の在り様であることが明らかになったように思います。 今回はその政治の入り口となる選挙に迫ろうとします。 大島監督は「香川1区」という選挙区をテーマとする限り、どの候補にも偏らない取材が不可欠と等距離での取材を心がけていることが強調されます。 ところがいざ選挙戦に突入すると、与党候補からは敵対する方が有利に働くと判断されたのか、執拗な攻撃に晒されます。 支持者たちの悪意に満ちた脅しが記録され、見ていて気分悪くなるほどです。 しかしここだけに限らず、各地で繰り広げられる選挙戦というものの、これが現実なのだと肌で感じました。 つまりはこれがこの国の政治環境なのでしょう。 あれから小川議員もそんな環境にあるうち、政治の技術論に傾いているきらいがあるのが少し気がかりですが、この国を新しく立て直せる器であることには変わりがないと見ました。 前回の「なぜ君は総理大臣になれないのか」という問いかけは「なぜ君を総理大臣にさせられないのか」という我々に向けられた問いかけだと書きましたが、それはここでも変わらないことを感じました。 我々がこうした環境に対して、本来政治とはどのようにあるべきかを問い、自らの意識を変えていかない限り、この問題はいつまでも残り続けるのだろうなと思いました。 #
by anculucinema
| 2022-09-29 12:27
| ドキュメンタリー
スタイリッシュな英国紳士がアグレッシブなアクションを繰り広げる、きわめてオーソドックスなスパイ映画「キングスマン」シリーズの3作目です。
リアリティはほとんどないけど、ユーモアとウイットに富んだお話がとても面白い。 最近の人気スパイ映画は妙な現実性にこだわり、こういう感覚を失っているように見え残念です。 今回は第1次世界大戦前夜のヨーロッパを舞台に、スパイ組織キングスマンの誕生秘話と、彼らが巨大な陰謀に立ち向かう姿が描かれます。 1914年、イギリス、ドイツ、ロシアといった大国間の陰謀が渦を巻き、第1次世界大戦勃発のキナ臭い空気が迫ろうとしていました。 そんな中、英国貴族のコンラッドは父親のオックスフォード公に連れられ、高級紳士服テーラーを表向きの顔にしたスパイ組織「キングスマン」の一員として迎えられます。 人類破滅へのカウントダウンが迫るなか、世界大戦を裏でひそかに画策する闇の組織に対し、彼らは仲間たちとともにその組織を打倒し、戦争を止めるために動き出します。 しかしそんな彼らの前に闇の組織の一員怪僧ラスプーチンが立ちはだかります。 1作目・2作目 ともに小気味よいテンポで楽しませてくれた本作ですが、今作はずっとさかのぼって第1次世界大戦前後の世界をチョッと斜めに見ながら、というスタンスで描かれます。 スケールは大きく広げたのですが、何となくその世界観がマンガチックなのがこのシリーズの本領です。 戦争を画策するグループの工作員にはラスプーチンはじめレーニンまでが名を連ね、そしてキングスマンに阻まれるその継承を託す若者として、ヒトラーらしき若者がチラッと写る演出が何となく笑えます。 こうした歴史をそしてその権威を茶化して、ウフフとほくそ笑むそういうセンスが大好きなのです。 ”007”なんかも第1作あたりはこんなウイットにあふれていて、それが面白かったのに、最近のシリーズなんか見るとやたら大仰で悲壮感を帯びたリアリズムが横溢していて、とてもシラけます。 この作品もヒットし3作目となり、製作費もそれなりにアップしているのだろうと想像出来ます。 その分大作志向が少し顔をのぞかせ、このシリーズの持ち味である破天荒な面白さに陰りも感じました。 次回作がもしあるのだとしたら、その原点をもう一度見つめ直してほしいものだと思います。 #
by anculucinema
| 2022-09-29 12:19
| 外国画
英国の諜報部員ジェームズ・ボンドの活躍を描く「007」シリーズの25作目です。
諜報(ちょうほう)の世界から離れていたボンドが、再び過酷なミッションに挑みます。 諜報(ちょうほう)員の仕事から離れて、ジャマイカで穏やかな生活を送っていたジェームズ・ボンドのもとに、ある日CIA出身の旧友フィリックス・ライターが訪ねて来ます。 誘拐された科学者を救出するという任務の依頼でした。 そのミッションを引き受けたボンドは、過酷な任務を通じ、世界に脅威をもたらす最新技術を有した黒幕と対峙することになります。 高校生のころ、当時としてはとても珍しかったスパイ映画「007は殺しの番号」が公開されました。 どちらかといえば小さな作品で、正直B級系だったと思います。 西側と東側の冷戦真っ只中の時代を背景に、英国スパイの諜報活動を描いた作品でした。 ただ、そのスパイ活動のディテールやアィデアに不思議なリアリティーがあって、ショーン・コネリー演じる主人公ジェームズ・ボンドのいかにも英国人らしいユーモアとウイットにあふれる佇まいもとてもセンス良くて、大ヒットしました。 おかげでその後は制作費も膨らみ続け、どんどんと大作化していったと記憶しています。 主役のジェームズ・ボンド役も何人か交代して、今現在ボンドを演じているダニエル・クレイグもこの作品でボンドを卒業ということなので、ふと観てみようかなという気になりました。 実は007シリーズはテレビでチョコッと見かけることはあっても、劇場でしっかりとはほとんど観てはいなかったのです。 本作はそんな想像していたのとは全然ちがいました。 大がかりなのは予想していましたが、初期のころのあの軽々しさはどこへやら・・・ やたら大仰でしかも全編に何ともいえない悲壮感が漂っていました。 観ているこちらが苦しくなるほどでした。 これは思い描いていた<007>の姿とは全然別のもの、似ても似つかわしくないものだと感じました。 しかもボンドは最後は絶体絶命の窮地に追い込まれ、それでも今までならそれを見事に乗り切って来たはずなのに、今作ではそのまま終ってしまいます。 おまけにラストはMI6(英国諜報部)のメンバーがボンドを悼むシーンとなっていて、なのになぜか彼は死んではいないと匂わせるような、思わず「どっちやねん!」と云いたくなるような中途半端なエンディングも気になりました。 おそらく新しい007シリーズが企画されるのでしょうが、死んだはずのボンドをどのように生き返るのでしょうか? どちらにしても、そんな新シリーズをぜひ楽しみにしたいと待ちわびる気持ちには残念ながらなりませんでした。 #
by anculucinema
| 2022-05-09 19:01
| 外国画
2021年、エリック・クラプトンが恒例としているイギリスのロイヤル・アルバート・ホールでのライブとその後に続くツアーが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのため中止。
ロックダウンの状況の下、アーティストに何ができるのかを模索したクラプトンは・・・ 「ミュージシャンにとって大切なのは演奏を続けること」と考え、イギリス・ウェストサセックスのカントリーハウスに気心の知れた腕利きのミュージシャンを集め、無観客でのアコースティックライブを開催することにしました。 無観客で閉鎖されたライブだからこそ可能になった普段とは異なる繊細な演奏。 彼のルーツに迫る今までにない選曲も絡め・・・ 特殊な条件であったからこその奇跡のライブを余すところなくフィルムに収録。 それを映画館の大きなスクリーンで楽しむことを可能にしたのでした。 キーボードのクリス・ステイントン・・・ ベースのネイザン・イースト・・・ ドラムスのスティーブ・ガッド・・・ きわめてシンプルな楽器構成でのセッションです。 しかしとてもそんなことを感じさせない色彩感豊かな演奏です。 特にスティーブ・ガットの、ドラムセットをパーカッションに変身させる技の数々には感心しました。 アコースティック中心の演奏は、30年前の「アンプラグド」を彷彿とさせます。 シンプルだけど、とてもふくよかな豊かな味わいを感じさせる演奏です。 こんな演奏をアンクルもしたいのだ、とあらためて感じ入りました。 部外者が入らないクローズなセッション・・・ ピーター・グリーンの大ヒットナンバー「ブラック・マジック・ウーマン」をカバー演奏し終えた時、バルコニーから思わず声が掛かります。 クラプトンの奥さんからでした。 唯一の部外者からの反応によって、この演奏がロックダウン下なのだということが際立ちました。 このエピソードから、のちに販売される映像作品には「レディ・イン・ザ・バルコニー」の副題がつけられました。 でも、劇場の大きなスクリーンで、なおかつドルビーサウンドの特別料金で見るほどのことはないと思いました。 DVDなどの映像に記録された作品を、おウチでリラックスしてのんびりと楽しむ方がずっと心地よいのでは?と思ってしまいました。 #
by anculucinema
| 2022-03-20 18:32
| ドキュメンタリー
日本の水俣病の存在を世界に知らしめたアメリカの写真家・ユージン・スミス。
1971年から74年までの3年間水俣で暮らし、有害物質に苦しむ人々の日常と、それを訴えようと闘う日々に寄り添った彼の姿を追います。 そんなある日、日本のカメラマンとその通訳を務めるアイリーンがスタジオを訪れます。 アイリーンは、熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって、苦しんでいる人々を撮影してほしいと切り出します。 水俣に赴き彼が見たのは、水銀に冒され歩くことも話すこともできない子どもたちの姿や、激化する抗議運動、その抗議を力で押さえ込もうとする工場側の現実でした。 衝撃を受けながらも冷静にカメラを向け続けるユージンでしたが、やがて自らもその危険に巻き込まれてしまいます。 そんなありのままを写真集「MINAMATA」として世に問う決心をしたユージン。 その写真は彼自身の人生と世界を変えることになるのでした。 若い頃、一時期写真に興味を持ったことがありました。 カメラクラブに所属して、写真教室に参加したり、コンテストに応募したり・・・ 一眼レフカメラを何台も首からぶら下げて、いっぱしのカメラマン気取りでいたものです。 しかし、次第に自分にはそんな才能も、持続させる気力もないことを悟り・・・ 今はコンパクトカメラ1台で、このブログやほかのSNSへの写真を撮るだけです。 ただ、それでも昔とった杵柄、それなりには考えた写真をと心がけています。 そんなアンクルがいつも自分の基本に置く写真家、それがユージン・スミスでした。 大学の「写真論」の講義で彼のライフ時代のフォトエッセイに触れました。 楽園への歩み、カントリードクター、スペインの村、などなど・・・ そのヒューマンなタッチに魅了されました。 何よりも写真集「MINAMATA」の中の「入浴する智子と母」には写真のすべてがそこにある、とさえ思わされました。 「ピエタ」を彷彿とさせる神々しさの中に、母の慈愛が静かに浮かび上がる傑作です。 これぞ写真と、無意識に自分が写真を撮る時の指標としていることを感じます。 この作品の製作を手がけ、自らもユージン・スミスに扮し主演を務めた、ジョニー・デップ。 何かとお騒がせなジャック・スパロウですが・・・ これまでの彼の派手なイメージを微塵も感じさせない地味な雰囲気の作品です。 そのせいというワケでもないのでしょうが、映画としては凡庸な作品に見えました。 環境問題のさきがけであったがゆえの様々のトラブルや葛藤が、とてもありきたりで表面的なステレオタイプとして描かれているとしか感じとれませんでした。 前評判の割には、とてもスケールの小さな印象で終わったようで残念です。 それよりもこの作品の公開によって、被写体である当事者の方々の意向で、あの「入浴する智子と母」が永らく封印されていたことを知りました。 当事者の方々のプライベートな感情やその事情はとても良く解かるのですが・・・ しかし普遍的な意味合いを持つ芸術的価値が、個別の事情によって制限が加わってしまう実情に、何か釈然としないもどかしさを感じてしまいます。 #
by anculucinema
| 2022-03-20 12:40
| 外国画
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