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1986年に発売されたゲームを実写映画化した作品らしい。 巨大化した動物たちが大都会シカゴで暴れ回り、街を壊していくパニックアクション映画。 DNAを急速に変化させるゲノム編集実験の影響で、普通の動物が巨大化しそして凶暴化する事態が発生します。 それは実験の成果を軍事目的として売り込み、一獲千金を狙った悪徳企業の実験失敗の結果でした。 そんな汚いビジネスの犠牲となった白いゴリラのジョージと動物学者との友情をまずは軸に置きつつ・・・ 最初は凶暴化したジョージが、同じく大きくなってしまったオオカミやワニの巨獣たちと、大都市シカゴを暴れ回ります。 しかし、動物学者たちが何とか手に入れた解毒剤で心だけは本来に戻ったジョージが、今度は学者たちと協力しながらオオカミやワニと三つ巴のモンスターバトルを繰り広げるというお話です。 まるで「怪獣大戦争」に代表される東宝特撮映画を彷彿とさせる展開でした。 何となくB級を思わせる感じですが、結構お金はかかっていて、CGなどなかなかリアルな仕上りでした。 とはいっても、巨大化の過程で異様に進化してしまうという設定のもと、オオカミがムササビのようなマントを身につけていたり、ワニも変な恐竜のような格好になっていたり・・・ それなのにジョージだけがゴリラのままと、何ともご都合主義なのはいただけません。 オオカミのまま、ワニのまま、ありのままに巨大化して欲しかった。 あくまでそのあたりのリアリティにはこだわって欲しかったという不満は残ったけど・・・ 人物描写はありきたり、その他の設定も荒唐無稽・・・ もちろんこの手の作品に芸術性を求める気はさらさらないけど・・・ 2時間弱の時間をあっという間に過ごさせてもらっただけでも御の字です。 ま、何はともあれ恐竜にせよ怪獣にせよ、巨大生物が登場する作品には目がなくて・・・ つい見てしまうのがアンクルの哀しき性ではあります。 なので、まもなく公開の「ジュラシック・ワールド」も今から楽しみ・・・ ▲
by anculucinema
| 2019-02-06 22:57
| 外国画
つい先ごろ、今年のアカデミー賞受賞のニュースで沸き返った作品。 アカデミー作品賞ほか4部門でオスカーを獲得、ほかに第74回ベネチア国際映画祭でも金獅子賞に輝きました。 製作・脚本・監督はメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ・・・ 米ソ冷戦下のアメリカを舞台に、声を出せない女性が不思議な生き物と心を通わせるラブ・ストーリー。 1962年、冷戦下のアメリカ。 政府の極秘研究所で清掃員として働くイライザは、研究所内に密かに運び込まれた不思議な生き物に出会います。 アマゾンで神のように崇拝されていたというその生き物に心を奪われた彼女は、人目を忍んで水槽へ逢いに通います。 幼少期のトラウマで声が出せないイライザでしたが、言葉など不要、いつしか少しずつその生き物と心を通わせるようになります。 一方、その生き物の警備を担当する軍人ストリックランドは、異形のその生き物に虐待を加え、さらに生体解剖を進めようとします。 そのことを知ったイライザは何とかその生き物「彼」を助けようと・・・ 50年代ハリウッドのモンスター映画ヒット作「大アマゾンの半魚人」へのオマージュ・・・ そしてそれをベースに、少し風変りだけどとても良質なファンタジーに仕上げられた作品、という印象です。 異物は排斥すべしという風潮は、まるで現在のこの世界を表すかのよう・・・ それを止めようと奮闘するのは、口の利けないイライザ、アフリカ系アメリカ人の清掃員同僚、ゲイの初老の絵描きなど・・・ みんな当時は社会的マイノリティとされる人たちばかり。 そうした人々への共感の視線がとてもやさしい。 一方、この異生物を虐待し蔑むエリート軍人のストリックランド。 豪勢な暮らしを享受しつつ、清掃員やワケありの絵描きをあからさまに見下し・・・ 口の利けないことをいいことに、イライザへのセクハラに走ろうとするなど、卑劣極まりない男。 さらにはソ連のスパイとして潜り込んだ生体科学者。 ストリックランドにことごとく反発はするのだけれど、それもこれもこの生物を自国のために利用せんがためばかり・・・ しかし彼らとて、国の権力に使い捨てられる単なるコマでしかなく、やがて地位を奪われ、あげく抹殺される・・・ そんな悲哀も描かれます。 自分たちと異なるものであっても退けようとせず、互いに歩み寄ろうとする主人公たちの姿は、トランピストたちにより分断されてしまった今日のアメリカ社会に対するアンチであるのは明らかです。 昨年のアフリカ系アメリカ人の同性愛を取り上げた「ムーンライト」といい、異形のモノとの恋愛を描いた本作といい、偏狭な保守層がどれほど騒ぎ立てようが、それがすぐれた作品であれば惜しみなく作品賞を与えるハリウッドの気骨に脱帽します。 ゲイの絵描きに「彼」を助ける協力を求めるイライザ・・・ 無理だと反対する絵描き・・・ 『だって「彼」は人間じゃない!』 それに対してイライザは激しく手話でこう反論するのです。 『もし何もしないなら、私たちも人間じゃない!!』 グサッと胸に突き刺さるセリフでした・・・ ▲
by anculucinema
| 2019-02-05 23:59
| 外国画
娘を殺害された母親が、警察を挑発する看板を設置したことから、次々と予期せぬ波紋が巻き起こります。 2017年第74回 ベネチア国際映画祭で脚本賞、トロント国際映画祭でも賞に輝くなど、高い評価を得た作品です。アンクルも今年のベストに早々とノミネートを決めた秀作です。 ミズーリ州の田舎町の寂れた道路に掲示された巨大な3枚の広告立て看板。 そこには警察を激しく告発するメッセージが書かれていました。 設置したのは、7カ月前に何者かに娘を殺された母親ミルドレッド。 「娘はレイプされ殺された!」「犯人逮捕はまだ?」「どうして、ウィロビー署長?」・・・ 犯人の動向は不明、何の進展もない捜査状況に苛立ち、警察署長ウィロビーにケンカを売ろうというのです。 署長を敬愛しながらも、差別的で暴力的な部下のディクソンの執拗な脅しにあおうとも・・・ 末期ガンで余命わずかな警察署長を気遣う町の人々の説得にあおうとも・・・ ミルドレッドは一歩も引きません。 それをきっかけに、次々と不穏な事件が起こり始め、事態は思わぬ方向へと突き進んでいきます。 差別的で横暴な警察権力。 それに立ち向かう、か弱き被害者の母。 先に取り上げた「デトロイト」と同じ展開かと思いきや・・・ 本作品はちょっと違った展開を見せ始めます。 警察署長ウイロビーは誠実な人柄で町の人たちにも慕われ、看板を掲げたミルドレッドにも理解を示す、実はとてもいい人です。 地道な捜査を続けながら、折にふれ彼女にはその状況を丁寧に説明しています。 しかしミルドレッドはそんな声に耳を傾けようともせず、署長の部下のディクソンの横暴さをあげつらい、暴力には暴力で対抗しようとします。 署長の思惑とはかけ離れ、双方の憎しみはエスカレートするばかりです。 ディクソンも粗野で荒々しい男ではあるけれど、署長の余命を気遣い、何とか盾になろうとする根はやさしい男。 一方、ミルドレッドは頑なで自分の主張を決して譲らず、そのために相手が傷つこうがお構いなしです。 一体どちらがよくて、どちらがいけないのか、コロコロ変わるので観ている方はワケがわからなくなって来ます。 なかなか感情移入できないので、ある意味、冷ややかな覚めた目で見つめるしかありません。 でもだからこそ・・・ 人にはそれぞれの立場があり、それぞれの事情があり、いろいろな考えがあり、いろいろな感情があり・・・ 一概にこんな人と一方的に決めつけることは間違っているのだ、ということがはっきりして来ます。 双方の対立は収まることなく、憎しみと暴力の連鎖はますます深まっていきます。 娘を殺された理不尽さの矛先をどこに向けていいのかわからない怒りに捕われるミルドレッド。 正義感がただ空回りして、あげくそれは自分に対抗する者への怒りへと替わり、暴力に向かってしまうディクソン。 怒れば怒るほどそれはさらに怒りを大きくし、憎しみを増幅させるジレンマにどんどん落ち込んでいくのです。 事件をきっかけに関係がギクシャクし始め、若い女と逃げてしまったミルドレッドの元夫。 殺された娘の父親です。 看板に火を放ったことを認め、ミルドレッドにこう云うのです。 「あの看板を見ていると、娘を失った怒りが込み上げて来て、居ても立っても居られない。」 だから焼き払ったのだと・・・ 「怒りは怒りを来たらす」のだと・・・ このひと言がすべてを云い表しています。 しかし一方、憎しみ合いながらも少しずつお互いに分かり合おうとする明るい兆しも、この作品には伺えます。 一瞬垣間見えたオレンジジュースのとても小さなエピソードに、そのメッセージは込められていました。 先のコトバになぞらえてつけ加えるなら、それは・・・ 「許しは赦しを来たらす」・・・ その、ほのかな希望を感じさせるラストがとても秀逸でした。 ▲
by anculucinema
| 2019-02-03 23:06
| 外国画
1967年に起きたデトロイト暴動の実話を映画化。 暴動のさなか、市中のモーテルで警察が宿泊客に行った過酷な自白強要の行方を凄まじい迫力で描き出します。 監督は、女性ながら骨太なタッチで鋭く社会問題に切り込み「ハートロッカー」で見事アカデミー賞に輝いたキャスリン・ビグロー。 1967年の夏、アメリカ・ミシガン州デトロイトで黒人を中心とする大規模な暴動が発生し、街が騒乱状態となります。 暴動から2日目の夜、州兵の集結地近く、アルジェ・モーテルで銃声が鳴り響いたという通報が入ります。 デトロイト市警察、ミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵、地元警備隊は、捜査のためにそのモーテルに突入します。 そんな中、数人の市警官がモーテルの宿泊客相手に捜査手順を無視した尋問を始めます。 そして、自白を強要された宿泊客たちは・・・ 息を呑む緊迫感に終始圧倒されます。 お話の中心は暴動の最中、アルジェ・モーテルの内部にいた白人女性2人を含む宿泊客に降りかかった出来事。 そこで繰り広げられた、まるで密室劇を思わせる驚きの事実・・・ 暴動の騒然とした雰囲気の中、ある黒人青年が面白半分にモーテルの窓からオモチャの銃を発砲したことが、文字通り引き金となり・・・ 飛び込んで来たデトロイト市警のクラウスをメインとする警官たち。 このクラウスという男が日ごろから黒人を目の敵にする問題警官であったことが事態をより大きくしてしまいます。 彼らは発砲した青年を有無も云わさず背後から射殺、用意したナイフを遺体の近くに置き、正当防衛を擬する周到さ。 中にいた何も知らない宿泊客を並ばせ、殺すと脅しながら次々と自白を強要します。 当初いっしょに居た州警察や州兵たちも、彼らの人権を無視した常軌を逸する行動に問題を感じ、関わるとヤバイと手を引いてしまう有様。 ますますエスカレートした警官たちは、ふとした過ちからさらに無実の黒人青年を殺害してしまい・・・ パニックに陥った彼らはさらに狂気を加速させ、更なる悲劇へと突き進んでいくのです。 ビグロー監督は、警官側、宿泊客側、どちら側の視点にも立たず、事実を淡々と積み重ねていきます。 そこから浮かび上がってくるのは、普通の市民がある日突然遭遇する理不尽な恐怖です。 反面、警官たちが感じていたのも実は自分たちが狙撃されるのでは?という恐怖でした。 それは差別に基づく自分たちの行為が、いつか復讐の対象になるのではないかと、彼らが常日ごろから心の奥底に恐れを抱いていたからです。 表向きはどのように取り繕っても、権力というのは市民を守ることがその本意ではなく、その目的は市民を抑え支配すること・・・ それをまざまざと見せつけられます。 敵をつくり出し、そこに自分たちのアイデンティティを反映させようというヘイトなレイシズムがいかに危険であるかを、この作品は明らかにします。 そこからは不信と憎しみ、異質な相手に対する恐怖しか生まれず、おぞましい暴力にしか行き着く先はありません。 トランプ大統領が目論む分断されたアメリカ、不寛容な雰囲気に満ち満ちたヨーロッパ、ますます極右化の方向に向かう我が日本など・・・ ビグロー監督がわざわざ1967年のこの出来事を今さら持ち出したのは、そうしたレイシズムがジワジワとはびころうとする、この世界のありように警鐘を鳴らそうとしているのではないのか?と強く感じました。 宿泊客のひとりにはザ・ドラマティックスのメンバーだったラリー・リードがいました。 ザ・ドラマテイックスは現在も活躍中の黒人音楽グループです。 実はデトロイトはモータウン・レーベル発祥の地で、当時の黒人音楽を引っ張る中心地だったのです。 ザ・ドラマティックスはその後メジャーデビューしますが、リード・ヴォーカルだったラリ―・リードは強烈なこの体験を経て、白人聴衆たちから脚光を浴びることにどうしても納得がいかず、契約直前にグループを抜けてしまいます。 将来を嘱望された才能だったのに・・・ 彼は地元教会の聖歌隊の一員となって、今もひっそりと歌い続けています。 そんな黒人音楽史の知られざる一面をも垣間見せる作品でした。 ▲
by anculucinema
| 2019-02-01 23:10
| 外国画
フィンランドのアキ・カウリスマキによる難民シリーズの2作目です。 生き別れた妹を捜すシリア人青年がレストランオーナーたちと知り合い、絆を育んでいくさまが描かれます。 トランプ・アメリカ大統領に象徴されるこの不寛容な時代へのカウリスマキからのメッセージ・・・ フィンランド・ヘルシンキ・・・ しがないセールスマン稼業と酒びたりの妻に嫌気がさしていたヴィクストロムは、思いきってすべてを捨て、売り払った金をギャンブルにつぎ込んで運良く大金を手にします。 彼はその金で一軒のレストランを買い、そこから新しい人生を始めようと考えます。 一緒について来た付録みたいな従業員たちは、無愛想でやる気のない連中だけれど、ヴィクストロムにはいい店になるだろう予感がありました。 一方、トルコからやってきた貨物船に潜んでいたカーリドは、ここでの難民申請を決意します。 彼はシリアの故郷アレッポで家族をすべて失い、たったひとり生き残った妹とも生き別れになっていたのです。 妹を見つけ出し、慎ましくも幸福な暮らしをさせてやることが彼の願いでした。 しかし、申請空しく入国管理局から強制送還されそうになり、何とか逃走をはかりますが、極右の連中に襲われ、そこを偶然ヴィクストロムに救われることに・・・ カーリドはヴィクストロムのレストランの従業員に雇われたばかりか、寝床や偽造の身分証までもヴィクストロムに与えられ、先輩従業員たちとも深い絆で結ばれることに・・・ そんなある日、カーリドは難民仲間から妹の居場所を知らされます。 ヴィクストロムらの協力で彼は妹と再会、この国に難民申請をさせようとします。 ところが希望の兆しが見え始めたカーリドを、執念深くつけ狙っていた極右の一味が襲います。 ナイフで刺され深い傷を負いながらも、カーリドは妹の難民申請を見届けようとするのでした。 原題は「The Other Side of Hope」(希望の向こう側)・・・ 場合によっては「絶望」とも読み取れるし、実際に主人公カーリドはラストで刺されてしまう展開です。 でも何となく、このお話は悲劇では絶対に終わらないだろう、という確信みたいなものが全編に漂っていました。 それこそカウリスマキの意図したところだろうし、その意味で「希望のかなた」とは、なかなか云い得て妙な訳なんだと感じました。 官僚的で冷たい移民局の役人たち・・・ 外国人というだけで忌み嫌うヘイトな極右のごろつきたち・・・ それとは対照的に、ギャンブルで事業を手にしたいかがわしいヴィクストロムや、シラケムードの従業員たち・・・ 日本の寿しが流行っているらしいとどこかでかじると、シャリよりワサビの方が多い寿司もどきを試してみたり・・・ 何とか這い上がろうともがく、そこらに普通に転がっている名もなくちっぽけで、ちょっぴり欲深な小市民たちが、いとも自然に難民を受け入れます。 お互い弱い立場同士が本能的に助け合おうとする連帯意識・・・ そこに、カウリスマキは「希望のかなた」にある何かを見つけようとしたのでしょうか?・・・ ヴィクストロムの知り合いの運送業者を抱き込んで、彼らはカーリドの妹を当局の目をかいくぐり密入国させることに成功します。 再開を喜び合うカーリドたちを横目に、報酬はいくらか?と運送業者に問うヴィクストロム。 それに対し運送業者はこう応じます。 「いい荷物を運ばせてもらった。 報酬など要らんよ。」・・・ アンクルは強者の側より、やはりいつもこういう弱い立場の側に立っていたい。 ワサビの方が多い寿司もどきはゴメンだけど、優しさを共有できる彼らのようなヒトたちと寄り添いたい。 そんな思いを強くしました。 ▲
by anculucinema
| 2019-01-30 14:49
| 外国画
「ワイルドバンチ」などで知られるアメリカ映画界の巨匠サム・ペキンパー!! アンクルの敬愛する映画作家です。 その彼の唯一となる戦争映画・・・ 第2次世界大戦下、ドイツの敗色が見え始めた1943年、ロシア戦線。 ソ連軍の猛攻で撤退を余儀なくされるドイツ軍の小隊長シュナイター伍長。 かたや勲章を手に入れることにしか興味のない指揮官シュトランスキー大尉。 ドイツ軍の1中隊を舞台に、人間味あふれる伍長と無能で冷徹な中隊長との対立は深まるばかりです。 そして激しくソ連軍が迫る中、シュトランスキー大尉はついにシュナイターの部隊を策略にかけようとします。 絶望的に追い詰められていくドイツ軍歩兵小隊の命運、そしてそんな中にあってなおドロドロとうごめく人間模様を、ペキンパーが徹底的なリアリズムで追った作品です。 ハンスという少年の寓話的な童謡が流れ、欧州戦線の実写映像が映し出されるオープニングには、連合国側からの視点しかなかったこれまでのハリウッド戦争映画を覆すような異様な雰囲気が醸し出されます。 アメリカ人によるアメリカ映画、しかし描かれるのはドイツ軍部隊・・・ 言葉も英語で、何かがおかしい違和感が終始作品を支配します。 これといったストーリーがあるワケではなく・・・ ただ戦う状態が、これでもか?これでもか?と積み重ねられるだけ・・・ 正直、途中眠くなってしまいました。 今から40年ほど前の作品です。 当時の撮影技術で、ここまで戦争の過酷さ、恐怖感を再現しているのに驚きます。 弾丸の降りしきる、逃げ場のない塹壕に閉じ込められたままの閉そく感を、ずっと味合わされる感じでした。 血しぶきが飛び散るバイオレンスシーンがペキンパーの持ち味。 ただそこに、そこはかとない美しさが漂うのもまた見どころのひとつでした。 しかし、この作品はひたすら暗く、殺戮シーンはただ残酷なだけです。 何の意味もなくむやみに次から次へと人が死んでいく・・・ そんな印象しか残りませんでした。 自らの美学をあえて封印して、無意味な殺戮シーンをイヤというほど叩きつける・・・ これまでの作品には見られなかったそんな異質さこそ、ペキンパーが戦争の本質を見せつけようとした、新たな手法だったのかもしれない・・・ そんな風に感じました。 ▲
by anculucinema
| 2019-01-27 15:21
| 外国画
世界的ヒットを記録したイギリス製スパイアクション「キングスマン」の続編です。 どこの国にも属さないスパイ組織「キングスマン」・・・ ロンドン・サビルロウに店を構える高級スーツ店を隠れ蓑にした組織。 ところが、謎の組織「ゴールデン・サークル」によってその根城がことごとくつぶされてしまいます。 残されたのは、以前スカウトされて腕を磨いてきたエグジーと、教官でありメカ担当のマーリンだけ。 ふたりは敵の手がかりを追い、アメリカへと渡ります。 バーボンウイスキーの醸造所を隠れ蓑にする、同盟組織の「ステイツマン」への協力を求めて・・・ ショーン・コネリー「007」時代の古き良き英国的スタイリッシュなスパイの佇まいに、最新のキレッキレなアクションシーンを満載しているのがこのシリーズの最大の魅力。 「007」が最近どこかシリアスで重い印象なのを吹き飛ばして、軽やかにコミカルにぶっ飛ばすのが小気味よい。 スパイ映画ブーム真っ盛りのそのむかし、TVシリーズで人気を博した「0011ナポレオン・ソロ」・・・ あの、こジャレてるけどチョッとふざけた3枚目感・・・ その雰囲気そのままです。 英国のスパイは「キングスマン」で、アメリカが「ステイツマン」・・・ それだけでふざけてますね?・・・ しかも、どこかアメリカを小バカにしてる感がそこはかと・・・ しかし、アクションシーンはスゴイのひと言。 映画が始まってすぐの冒頭、派手なカー・アクションをいきなりカマシてくれます。 あとは全編、次から次へと手に汗握るアクションの数々・・・ 最後まで飽きさせないのがさすがです。 ただし、お話は荒唐無稽もいいところ。 前作の主役で、クライマックス前に殺されてしまうエージェント・ハリーが、何とステイツマンに生き返らされていました。 死んだはずだよ、ハリーさん・・・ 生きていたとは知らぬホトケのハリーさんです。 他にも「んな、アホな!!」的展開がそこかしこ・・・ 些細なことをあげつらわないとおられないヒトは、絶対に観ないでください。 アタマが爆発するのは必定です。 前作では、派手にポンポンと爆発したもんね・・・ グロテスクなシーンも前作ほどではないけれど、若干あり。 しかしまぁ、ほとんどありえない漫画的世界ですから、リアリティは皆無です。 それもこれも含め、アハハとバカ笑いで吹き飛ばすのが正しい見方かと・・・ 英国流の華麗なファッション、度肝を抜くアクション、チョッと女の子感が薄いのがマイナスだけど・・・ 高校生のころ、胸をときめかした「平凡パンチ」の世界をふと彷彿として・・・ けっこう楽しませてもらいました・・・ ▲
by anculucinema
| 2019-01-26 12:06
| 外国画
<スター・ウォーズ>シリーズの新たな3部作の第2章。 伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーをついに探し出し、ライトセーバーを差し出したレイ・・・ しかしそこで驚くような真実を知ることに・・・ なぜハン・ソロとレジスタンスのリーダー・レイアの血を引く息子カイロ・レンが、ダース・ベイダー(悪の側面)を受け継ごうとするのか?・・・ そして、レイアたちレジスタンスたちが切り拓こうとする新たなるミッションとは?・・・ 何といっても、中間3部作はそれまでのスペース・オペラと一線を画す革新的な作品でした。 個人的には、アメリカンニューシネマのメッセージ性を駆逐してしまった点がずっと不満だったのですが・・・ しかしまぁ、そこを差し引いてもエンターテインメントの新しい可能性をそれなりに示した作品群と評価できると思います。 そしてジョージ・ルーカスが主導した前史3部作。 画期的に進歩したSFX技術を駆使し、中間3部作に迫る革新性を発揮したかな?・・・ 振り返ればそれなりに評価できる面白さではありました。 しかし前作でも指摘しましたが・・・ ディズニー・プロが製作を担当するようになってからの、この後史3部作はどうにもいただけません。 革新性のかけらもなく、そこいらにころがってるあまたのSF冒険モノとどこが違うの?という感じです。 どこをとっても面白くなかったし、中間・前史3部作に感じたワクワク感など望むべくもなく・・・ 前作は第4作を・・・ そして今作は第5作をなぞってるだけにしかないように見えました。 技術的にはこれまでの6部作とは較べようのない進化を得ています。 でも、作品の核となるべき基本的なポリシーに欠けるのが、最大の弱点だと感じます。 次回作がいよいよこのシリーズの最終作になるはずです。 そこをどれだけ埋め合わせて大団円とするのか?・・・ 先細りのまま終わることのないよう祈りつつ・・・ 楽しみに待ちたいとは思うけれど・・・ ▲
by anculucinema
| 2019-01-25 23:18
| 外国画
年末に観た2作品の映画評を立て続けに・・・ まずは、これ・・・ 1974年にも映画化されたアガサ・クリスティの名作ミステリーをオールキャストの共演で新たに映画化。 イスタンブール発フランス行きの寝台列車オリエント急行で、富豪ラチェットが刺殺されます。 教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人・・・ 目的地以外は何ら共通項のない乗客たちが、殺人事件の容疑者となってしまいます。 そして、そこに乗り合わせた探偵ポアロが、列車という動く密室内で起こった事件の解決に挑むことに・・・ 「そして誰もいなくなった」の日本版TVドラマが面白かったので、A・クリスティに興味を持ち、この作品を観てみたいと思いました。 誰か一人に焦点が当たるのではなく、事件の発生に多くの人たちが関わる「そして誰もいなくなった」と同じ群像劇です。 映画化しようとすれば、オールスターにならざるを得ないような内容。 昔の東映お正月映画の定番「忠臣蔵」と同じパターンです。 ![]() アンクルは初めてなので、そこはワクワクと面白かったです。 でも、ポアロが乗客それぞれに尋問する場面に至ると、さすがに少し間延びを感じチョコっと居眠りしてしまいました。 昨今の映画は視覚的に飽きさせないよう、たたみ込んで来ますからね。 これまでのオーソドックスな手法では、今日の映画事情を満足させられないのだと、今さらながらに痛感しました。 「そして誰もいなくなった」では犯人も死んでしまい、それが実は巧妙な自殺だというところがミソなのですが・・・ この作品では乗客が12人、そして被害者の傷が12カ所というところがミソです。 被害者ラチェットは、実は何年か前にアメリカに移住した裕福なイギリス人の赤ん坊を誘拐し、身代金を得ながらも殺害したマフィアの親分カセッティでした。 国外に逃亡し、司法の網の目をかいくぐって身をくらませ、その後いっぱしの実業家となっていたのでした。 謎解きは犯人探しから、一見何のつながりもないはずのその乗客たちがそれぞれ、その事件と深く関わっていたことを暴き出すことになり、そちらに焦点が移っていきます。 そこで大体筋書きは見えて来ました。 感想としては、とても大仰な古典的推理ドラマだなということだけですが・・・ あえてつけ加えるなら、犯罪事件は犯人と被害者の問題にとどまらず、何らかの形で関わった人たち多くの人生をも大きく狂わせてしまうのだ、という教訓でしょうか?・・・ そうした事例があとを絶たない現実が、フィクションを越え、重くのしかかって来るのを感じました。 ▲
by anculucinema
| 2019-01-23 23:13
| 外国画
アメリカの女性詩人、エミリ・ディキンスンの生涯を映画化。 小さな町で詩を書き続けた彼女の知られざる半生が描かれます。 19世紀の生活様式を再現し、実際にディキンスン一家が暮らした屋敷で撮影が行われたようです。 19世紀のアメリカ・マサチューセッツの小さな町アーモスト。 白いドレスに身を包み、緑豊かな屋敷から出ることなく、ひとり詩作に明け暮れたひとりの女性がいました。 彼女の名前はエミリ・ディキンスン。 生前にわずか10篇の詩を発表したのみで、無名のまま生涯を終えたディキンスンでしたが、亡くなったあと部屋の引き出しから約1800篇もの膨大な詩が発見されました。 そして、その繊細な感性と深い思索から生まれた詩の数々は、のちのアーテイストたちに多大な影響を与えたと云われています。 確かサイモン&ガーファンクルなどに採りあげられていたと記憶しています。 孤独のなかで生と死、そして永遠を見つめ、詩の創作に情熱を注いだ彼女の知られざる半生とは?・・・ 崇高さを求め続けた人生という印象です。 よく人間の成長をたとえて「清濁あわせ飲む」と云います。 また「清流に魚住まず」とも・・・ どちらも、人間には清らかさだけでは生き抜けない現実があることを示唆しています。 つきまとう汚れた部分も、ある程度受け入れなければ生きてはいけないと・・・ しかし、この人はその汚れや濁りを決して認めることがありませんでした。 同時に、当たり前とされることにもしばしば懐疑の目を向け、反抗します。 父親の喪中にも白い服で通す、ある種の偏執狂的な性向も持っていました。 それゆえ、ついには他人をことごとく遠ざけるしかなく、自ら孤独の路を選ぶよりほかなかったのだと思います。 エミリ・ディキンスンの詩には、浄化され、研ぎ澄まされた「静けさの響き」が感じられます。 独特の静謐なその世界にアンクルはとても魅かれます。 そこに表されるイメージは、おなじく大好きな画家アンドリュー・ワイエスの描く世界とオーヴァーラップします。 アンクルが彼女の詩の世界を具象化しようとすれば、必ずワイエスの絵が浮かんで来るのです。 悲しみのようにひそかに 夏は立ち去った あまりにひそかに ついには 裏切りとは思えぬほどに ・・・ 遠く始まったたそがれのような 蒸留された静かさ 午後を ひとり引きこもって時を過ごす自然 彼女独自の世界は、彼女自身のこの一編の詩に、完璧に云い当てられているような気がします。 ▲
by anculucinema
| 2019-01-19 12:14
| 外国画
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